チャイコフスキー
チャイコフスキー
チャイコフスキーの生涯・経歴
チャイコフスキー(1840-1893)は19世紀後半のロシアの作曲家である。
1840年にロシアのウラル地方ヴォトキンスクで鉱山技師の二男として生まれた。
音楽的には恵まれた環境とは言えなかったが、幼い頃から音楽の才能を示していた。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、198項。
チャイコフスキーはロシア5人組(バラキレフ・キュイ・ムソルグスキー・コルサコフ・ボロディン)とは対立するかたちで登場した。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、198項。
5人組がどちらかというと野党的存在だったのに対し、チャイコフスキーはロシア音楽界のエリートで、ロシアを代表する2つの音楽院の創設に関わっている。
1863年に創設されたペテルブルク音楽院に入学し、1866年に卒業した。
そして、ペテルブルク音楽院を卒業して間もなく1866年秋に、チャイコフスキーの親友であるピアニスト、ニコライ・ルビンシテインが新しくモスクワに創設する予定のモスクワ音楽院の開設準備を手伝い、その秋から音楽院の教師に就任した。
なお、ニコライはチャイコフスキーの師であるアントン・ルビンシテインの弟にあたる。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第5番 他』 2022/10/10放送。中川 右介 『3時間でわかる「クラシック音楽」入門』 青春出版社、2006年、172項。中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、198-199項。モスクワ音楽院 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワ音楽院。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」』 2023/12/14放送
チャイコフスキーはここで学生に音楽理論を教えるかたわら、活発に作曲の筆を進め、交響曲第1番「冬の日の幻想」や 幻想序曲「ロメオとジュリエット」といった初期の傑作を生み出していく。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第5番 他』 2022/10/10放送
1877年37歳の年にかつてのモスクワ音楽院での教え子と結婚した。
しかし、それは必要に結婚を迫る熱烈なアタックに押し切られるようにして決心したもので、結婚生活はわずか3カ月足らずで破局した。チャイコフスキーは自殺を図るほど精神的に追い詰められてしまう。
憔悴しきった兄を見かねた弟が旅行に連れ出し、2人はスイスやイタリアを旅した。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 チャイコフスキーが聴きたくて(4)』 2024/1/18放送
1887年、チャイコフスキーは国外に演奏旅行に出かける。ライプチヒ、ハンブルク、ベルリン、プラハ、そしてパリ、ロンドンでも指揮台に立ち、各地で熱狂的に迎えられた。
1888年4月、ロシアに戻ったチャイコフスキーは、モスクワ近郊の町クリンに近いフロロフスコエ村の新居で暮らし始める。
新しい家には森に囲まれた広い庭があって、チャイコフスキーは作曲の合間に付近の散策を楽しんだという。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第5番 他』 2022/10/10放送
チャイコフスキーの交友関係など
ニコライ・ルビンシテイン
ルビンシテインは優れたピアニスト、指揮者であり、モスクワ音楽院の初代院長である。
チャイコフスキーにとって尊敬する音楽家、そして恩人で親友でもあった。ペテルブルク音楽院を卒業したばかりの若きチャイコフスキーをモスクワ音楽院の教師として招いたのがルビンシテインである。
彼はチャイコフスキーを自宅に下宿させ、面倒を見ていた。繊細な神経を持つチャイコフスキーを時には苛立たせたようであるが、5つほど年上で社交家のルビンシテインはいつも彼を励まし、作曲家としての才能を育み、その作品を世に広めていった。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をめぐっては草稿での演奏を聞いたルビンシテインが酷評したため、仲違いをしてしまうが、後にルビンシティンが謝罪したという。
1881年ルビンステインは45歳の若さで亡くなった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーとラフマニノフの「偉大な芸術家の思い出」』 2024/2/13放送
他の音楽家との関係
モーツァルト
チャイコフスキーはモーツァルトを敬愛していた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーの「組曲第4番モーツァルティアーナ」他』 2022/08/04放送
ラフマニノフ
ラフマニノフにとってチャイコフスキーは最も尊敬する大作曲家であった。
チャイコフスキーも33歳年下のラフマニノフの才能を高く評価していた。モスクワ音楽院では和声学の修了試験でラフマニノフに最高点以上の得点を与えている。
チャイコフスキーが急死する年の1893年の4月に、モスクワのボリショイ劇場で上演された若きラフマニノフが手掛けた最初のオペラ「アレコ」の初演で、チャイコフスキーは上演を可能にする働きやラフマニノフの音楽を知ってもらおうと遠いサンクトペテルブルクの名士にも懸命に頼み込み、劇場へ足を運んでもらうということに至るまで人知れず尽力した。初演の幕が降りると、チャイコフスキーはボックス席から身を乗り出して力いっぱい拍手を送ったという。「そうすることが無名で駆け出しの作曲家の役に立つということをよくご存知だったあの方の優しさだったのです」とラフマニノフ自身が語っている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーとラフマニノフの「偉大な芸術家の思い出」』 2024/2/13放送
チャイコフスキーの意義・評価
職業的作曲家
チャイコフスキーはロシアの職業的作曲家第1号であり、世界で最も有名なロシアの作曲家である。
チャイコフスキーの作品
オペラ
エフゲーニ・オネーギン
1878年、チャイコフスキーが38歳の年に完成させた作品。「スペードの女王」と並びチャイコフスキーの代表的なオペラとして知られている。
ロシアの文豪プーシキンの小説を原作とし、都会育ちの青年と村の地主の娘のすれ違いの恋を描いた物語。 チャイコフスキーによる美しくロマンチックな旋律がその悲しい恋を色鮮やかに描き出している。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーのバイオリン協奏曲』 2023/1/9放送
バレエ音楽
白鳥の湖 作品20
「白鳥の湖」はチャイコフスキーが最初に手掛けたバレエ音楽。1877年37歳の年にボリショイ劇場で初演された。悪魔によって白鳥に変えられてしまった王女オデットと王子ジークフリートの悲しい愛の物語。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 チャイコフスキーが聴きたくて(1)』 2024/1/15放送
眠りの森の美女 作品66
チャイコフスキーは1888年サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場劇場からバレエを依頼された。 その原作は、フランスの作家シャルル・ペローの童話「眠りの森の美女」で、当時ロシアでも人気があった。チャイコフスキーはその台本を大変に気に入り、作曲を快諾する。初演は1890年プティパの振り付けで上演された。批評家や貴族からの評価は低かったものの、一般の観客の人気は高く、上演回数を重ねていった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの「眠りの森の美女」他』 2022/11/2放送
チャイコフスキーが作曲した「白鳥の湖」「くるみ割り人形」と共に「3大バレエ」とも呼ばれている。
眠れる森の美女 (チャイコフスキー) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/眠れる森の美女 (チャイコフスキー)
バレエ組曲「眠りの森の美女」
バレエ音楽から5曲を選んで演奏用組曲も作られている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの「眠りの森の美女」他』 2022/11/2放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 チャイコフスキーが聴きたくて(1)』 2024/1/15放送
くるみ割り人形 作品71
バレエ音楽「くるみ割り人形」はドイツの作家ホフマンの小説による物語。
NHK-FM(東京) 『シベリウスの交響曲第7番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/5/29放送
チャイコフスキーが58歳の時に書いた最後のバレエ音楽である。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 チャイコフスキーが聴きたくて(1)』 2024/1/15放送
少女クララがクリスマスプレゼントにもらったくるみ割り人形をネズミの襲撃から守り、お礼にお菓子の国に連れて行ってもらうという物語で2幕構成になっている。
1892年12月にマリインスキー劇場で初演された。クリスマスにちなんだ作品で、今でも12月に世界各地で上演される。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 冬のぽかぽかクラシック(4)』 2022/12/22放送
バレエ組曲「くるみ割り人形」
バレエの初演に先立ち、チャイコフスキー自身によって作られた演奏会用の組曲もあり、広く愛されている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 冬のぽかぽかクラシック(4)』 2022/12/22放送
また、20世紀を代表する指揮者の1人ムラヴィンスキーが情景を中心とした6曲を独自にまとめた組曲などもある。
NHK-FM(東京) 『シベリウスの交響曲第7番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/5/29放送
交響曲
交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」
チャイコフスキーの最初の大作。
チャイコフスキーはペテルブルク音楽院を卒業して間もなく1866年秋に設立予定のモスクワ音楽院の開設準備を手伝い、その秋から音楽院の教師に就任した。
そして、同じ年の春から夏にかけて作曲したのが交響曲第1番。その後、2度にわたる改訂が加えられ、1874年に完成したのが今日知られている決定稿である。
全体は伝統的な4つの楽章から構成され、全曲を通して流れる民謡風のメロディなど冬に象徴されるロシアの国土や自然に対する愛着を表現しようとしたのではないかと考えられている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」』 2023/12/14放送
交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
この交響曲はチャイコフスキーが1877年から78年にかけてイタリアへの旅行中に作曲し、パトロンとして彼に多大な援助をするようになったロシアの資産家フォン・メック夫人に献呈された。
なお、ドビュッシーは1880年、18歳の年にフォン・メック夫人の家族旅行にピアニスト、そして子供たちのピアノ教師として同行しているが、このときフォン・メック夫人からチャイコフスキーの交響曲第4番の楽譜などを見せてもらい、彼の音楽やロシア5人組の音楽を知って影響を受けた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲 』 2023/2/9放送
交響曲 第5番 ホ短調 作品64
この曲はモスクワ近郊の町クリンに近いフロロフスコエ村の住居で書かれた。
1888年6月の初め頃には作曲に取りかかり、8月に完成し、11月にペテルブルクでチャイコフスキー自身の指揮で初演が行われた。曲は聴衆に受け入れられ、会場は大きな拍手に包まれたと伝えられている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第5番 他』 2022/10/10放送
管弦楽曲
ピアノ協奏曲
チャイコフスキーは生涯に3曲のピアノ協奏曲を作曲した。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーのピアノ協奏曲 第1番ほか』 2022/08/09放送
ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
チャイコフスキーのピアノ協奏曲の中で現在最も親しまれている曲。全3楽章。
モスクワ音楽院の教授を務めていた時期の1874年の11月から12月の間に集中的に作曲され翌年に完成した。
この曲はチャイコフスキーの親友でモスクワ音楽院校長のニコライ・ルビンシテインに酷評されたという有名なエピソードがある。
チャイコフスキーは1つの音符も変えないで、このまま発表すると応じ、1875年10月のボストンの初演で大成功を収めた。
しかし、現在、私たちが耳にするピアノ協奏曲第1番は、ルビンシテインが「不器用」と指摘した多くの部分が改善されたと言われているチャイコフスキー自身による改訂バージョンである。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーのピアノ協奏曲 第1番ほか』 2022/08/09放送
弦楽合奏曲
弦楽セレナード ハ長調 作品48
弦楽合奏のための全4楽章からなるこの曲は40歳の年、1880年に完成した。
モーツァルトの弦楽のためのセレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をお手本にしたとも言われ、チャイコフスキーのモーツァルトへのオマージュと言える作品の1つである。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーの「組曲第4番モーツァルティアーナ」他』 2022/08/04放送
チャイコフスキーの代表作の1つとして広く親しまれていて、チャイコフスキー自身「会心の作」と語っている。
演奏会用序曲
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
友人のバラキレフの勧めで29歳の時にこの序曲を書き始めた。
曲を書く中で物語にのめり込んでいったチャイコフスキーは一度曲を完成させるが納得できず、その後何度も書き直したという。約10年後に曲はようやく完成した。
ロメオとジュリエットの2人に訪れる激しい運命とその中でも貫かれる2人の愛が幻想的な音楽で描かれている。
NHK-FM(東京) 『チャイコフスキーの交響曲第5番 - クラシックの庭』 2024/9/16放送
交響曲第1番と第2番の間に作曲されたこの曲がチャイコフスキーの最初の傑作という声も多い。
ロメオとジュリエット (チャイコフスキー) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ロメオとジュリエット (チャイコフスキー)
その他の管弦楽曲
ワルツ・スケルツォ ハ長調 作品34
ロマンティシズムあふれる小品。バイオリンとオーケストラのために作曲された。
チャイコフスキー自身がバイオリンとピアノ用にも編曲している。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 チャイコフスキーが聴きたくて(4)』 2024/1/18放送
イタリア奇想曲 作品45
オーケストラのために書いた小品。
モスクワ音楽院での教え子との結婚生活の破局はチャイコフスキーを自殺を図るほど精神的に追い詰めた。憔悴しきった兄を見かねた弟が旅行に連れ出し、2人はスイスやイタリアを旅した。イタリアの明るい太陽や青い海に心癒され、次第に元気を取り戻したチャイコフスキーは、旅行中にこの作品のスケッチをはじめ、帰国後に完成した。
出発前の重苦しい気持ちがイタリアへの旅で解放されていくかのように明るさを増していき、イタリアの民謡や民族舞曲のリズムも取り入れた華やかな音楽となって曲を閉じる。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 チャイコフスキーが聴きたくて(4)』 2024/1/18放送
組曲第4番 ト長調 作品61「モーツァルティアーナ」
モーツァルトを敬愛するチャイコフスキーがモーツァルトの作品をもとに作曲した4曲からなる組曲。1887年に作曲。
第1曲「ジーグ」(K.574から)、第2曲「メヌエット」(K.355から)、第3曲「祈り」(K.618から)、第4曲「主題と変奏」(K.455から)というタイトルがつけられている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーの「組曲第4番モーツァルティアーナ」他』 2022/08/04放送。組曲第4番 (チャイコフスキー) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/組曲第4番 (チャイコフスキー)
室内楽曲
弦楽四重奏曲
チャイコフスキーは、弦楽四重奏曲を全部で3曲、モスクワ音楽院で教師を務めていた1870年代に作曲し、他にはサンクトペテルブルク音楽院の学生時代の最後の年に習作として書かれた変ロ長調の弦楽四重奏曲のうちの1楽章のみが残されている。
弦楽四重奏曲第1番 (チャイコフスキー) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/弦楽四重奏曲第1番 (チャイコフスキー)
弦楽四重奏曲第1番 ニ長調 作品11
モスクワ音楽院の講師としてのモスクワでの生活も5年ほどが経とうという頃、30歳のチャイコフスキーはニコライの勧めで自作の演奏会を開くことになった。
この作品はここで披露する曲の1つとして作曲された。 1871年3月にモスクワの貴族会館小ホールで初演されたが、このコンサートには、ロシアの文豪ツルゲーネフも来場していたという。
第2楽章は民謡の旋律を用いた有名な緩徐楽章アンダンテ・カンタービレで、初演から数年後に行われた演奏会でこの曲が取り上げられたとき、会場にいたロシアの文豪トルストイが第2楽章を聴くと涙を流し始めたという逸話が伝えられている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの交響曲第5番 他』 2022/10/10放送
弦楽四重奏曲第2番 ヘ長調 作品22
弦楽四重奏曲第1番の作曲後、モスクワ音楽院で教鞭をとっていた1874年、チャイコフスキーは再び弦楽四重奏曲を作曲した。
この弦楽四重奏曲第2番についてチャイコフスキーの恩師ルビンシテインはこの作品が室内楽の枠を超えて長すぎると批判した。しかし、チャイコフスキー自身はこの作品に晩年まで深い愛着と自信を持っていた。4楽章からなるどの楽章も大胆な和声や情熱的な旋律に満ちていて、また、技巧的な場面も多く現れる室内楽の傑作である。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーの「眠りの森の美女」他』 2022/11/2放送
弦楽六重奏曲 ニ短調「フィレンツェの思い出」
チャイコフスキー最後の室内楽曲。
弦楽六重奏曲 (チャイコフスキー) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/弦楽六重奏曲 (チャイコフスキー)
1890年の冬、50歳の時にイタリア中部の都市フィレンツェに滞在してこの作品のスケッチを始めたようである。
楽器はヴァイオリン、ヴィオラ、そしてチェロがそれぞれ2本ずつ用いられている。
作曲当時、チャイコフスキーは弟に宛てて手紙を書き、その中で同じ質の6本の弦楽器を組み合わせることは簡単ではないと作曲の苦労を語ると同時にこれまで作曲したことのないこの弦楽六重奏曲というジャンルに熱心に取り組んだことを伝えている。
なお、この曲はオリジナルの弦楽六重奏以外に弦楽合奏で演奏されることも多い。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シベリウスの交響曲第2番 他』 2022/9/14放送
ピアノ三重奏曲 イ短調「偉大な芸術家の思い出」作品50
「偉大な芸術家」とはチャイコフスキーの親友ニコライ・ルビンシテインのこと。
ルビンステインは1881年45歳の若さで亡くなった。チャイコフスキーは彼を偲び、悲しみの旋律とその生涯における出来事を変奏とするピアノ三重奏曲を作曲した。これが2楽章からなるこの作品である。
ルビンシテインの亡き後、チャイコフスキーはモスクワ音楽院の院長に指名されるが、就任を固辞し、ローマでこの曲の作曲に専念した。かねてからピアノと弦楽器の響きがぶつかるのを嫌っていたチャイコフスキーがピアノのパートをルビンシテインに見立て、ロシア音楽の室内楽曲に新たな息吹をもたらした。
1882年ルビンシテインの一周忌にモスクワ音楽院で非公開の初演が行われた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーとラフマニノフの「偉大な芸術家の思い出」』 2024/2/13放送
なつかしい土地の思い出 作品42
1878年に作曲。
なつかしい土地とはどこなのか諸説あるが、未だ謎に包まれたまま。
曲は3つの小品で構成される。単独で演奏されることも多い、甘美でどこか切ないチャイコフスキーらしい名曲。
なお、グラズノフがオーケストラ編曲を行った管弦楽伴奏版がある。
NHK-FM(東京) 『クラシックの庭 グラズノフのバレエ音楽「四季」』 2024/4/23放送
ピアノ曲
四季 作品37b
ヴィヴァルディの四季が4つの季節を表現したヴァイオリン協奏曲であるのに対して、チャイコフスキーの四季は1月から12月までの12の月の季節感を織り込んだピアノ曲である。それぞれの月に見られるロシアの自然の情景や、そこに暮らす人々の生活が描写されている。
この曲集は、ピアノ協奏曲第1番の初演が大成功を収めた1875年の12月に、ペテルブルグの出版社より新年から創刊される音楽雑誌の企画のために毎月1曲各月に題材を取ったピアノ曲を書いて欲しいという作曲依頼があり、翌年1876年の1月から12月まで1年にわたって綴られた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ヘンデルの組曲「王宮の花火の音楽」ほか』 2022/07/26放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番 他』 2023/1/3放送
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