ドビュッシー
ドビュッシー
ドビュッシーの生涯・経歴
ドビュッシー(1862-1918)はフランスの作曲家である。
1862年にパリの郊外で生まれた。
幼い頃から音楽や詩に触れ、たとえば、19世紀のフランス象徴派詩人マラルメの影響を受け、若い時からその詩を題材に作曲するという取り組みを行っていたと言われている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」他』 2022/07/05放送
10歳になった1872年にパリ音楽院に入学する。
最初はピアニストを目指したが諦め、10代の後半から作曲家を志した。
なお、そのちょうど変わり目の頃、1880年、18歳の年にドビュッシーはチャイコフスキーのパトロンとして知られるロシアの資産家フォン・メック夫人の家族旅行にピアニスト、そして子供たちのピアノ教師として同行している。これはいわゆる音大生のアルバイトのようなものだったが、ドビュッシーはこのときフォン・メック夫人からチャイコフスキーの交響曲第4番の楽譜などを見せてもらい、彼の音楽やロシア5人組の音楽を知って影響を受けた。
1884年22歳の年には当時フランスの若手音楽家の登竜門であったローマ賞の大賞を受賞し、フランス政府の奨学金を受けて翌年からローマに留学し、作曲家への第一歩を踏み出す。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ドビュッシーの前奏曲集第1巻 他』 2022/07/13放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドビュッシーの二つのアラベスク 他』 2022/10/24放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲』 2023/2/9放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲 』 2023/2/9放送
ローマ大賞受賞者の義務としてローマには2年間滞在し、その後パリに帰った。
なお、2年間のローマでの寄宿生活は、内向的で非社交的な彼にとって満足のいくものではなかった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドビュッシーの二つのアラベスク 他』 2022/10/24放送。小学館 『日本大百科全書』
イタリアの留学から帰国したドビュッシーは1887年頃からフランスらしさを探求するようになる。特にヴェルレーヌやマラルメのような象徴主義の詩人の影響を強く受けた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ プーランクのバレエ音楽「めじか」』 2024/2/7放送
パリでは象徴派詩人の集まる芸術サロンに加わった。なかでも、マラルメの「火曜会」にただ1人の音楽家として出席していたことは彼の音楽に強い足跡を残している。
小学館 『日本大百科全書』
1890年頃に2人は出会い、20歳の年の差をものともせず意気投合した。
そして、マラルメの詩「牧神の午後」に触発され、1894年、32歳の時に「牧神の午後への前奏曲」を完成させた。
この曲は発表当初から音楽界に強い衝撃を与えた。フルートの神秘的な旋律に導かれ始まるこの曲は今日、20世紀の新しい音楽の幕開けを告げる重要な作品に位置づけられている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」他』 2022/07/05放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドビュッシーの二つのアラベスク 他』 2022/10/24放送
こうしてドビュッシーは、それまでの音楽の理論を逸脱し、絵画や文学と深く結びついた独特の世界を確立していった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ドビュッシーの前奏曲集第1巻 他』 2022/07/13放送
ただし、ローマ大賞を受賞したものの、すぐには作曲家としては生活できず、編曲などを行なっている。
28歳になる1890年には、ドビュッシーにアメリカの軍人から最初の作曲依頼が舞い込み、連弾によるピアノ曲を作曲した(「民謡を主題としたスコットランド風行進曲」)。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バルトークの管弦楽のための協奏曲 他』 2022/10/19放送
「牧神の午後への前奏曲」の初演の成功後、期待の若手作曲家として歩み始めたドビュッシーは次々と意欲的な作品を生み出していく。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドビュッシーの二つのアラベスク 他』 2022/10/24放送
そして、1900年前後30代後半を迎えていたドビュッシーは歌劇「ペレアスとメリザンド」や交響詩「夜想曲」などを発表し、作曲家としての地位が高まっていった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ プーランクのバレエ音楽「めじか」』 2024/2/7放送
なお、1898年にはパリ万国博覧会で日本などの東洋の芸術に触れている。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、220項。
また、私生活では、1899年にロザリー(リリー)・テクシエと最初の結婚をしたが、1903年ごろから銀行家のエンマ・バルダック夫人と恋仲になり、ロザリーが自殺未遂をおこすなど大きな社会的スキャンダルとなった。
小学館 『日本大百科全書』
そして、1905年、43歳の時にロザリーと正式に離婚し、エンマと2度目の結婚をした。
クロード・ドビュッシー - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー
同年、エンマとの間に娘クロード・エマが生まれ、やっと平和な家庭生活を営むようになる。ドビュッシーは娘をキャベツちゃんといった意味の「シュシュ」という愛称で呼び、大変可愛がったという。
のちに愛娘のためにピアノ曲集「子どもの領分」を作曲している(1906-08)。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 冬のぽかぽかクラシック(3)』 2022/12/21放送。小学館 『日本大百科全書』
1909年にはパリ国立高等音楽院の委員会の一員となっている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ベートーベンの七重奏曲 他』 2022/07/06放送
人物像
海
ドビュッシーは若い時から海を大変に愛していた。もし作曲家にならなかったら何になっていたかと問われると船乗りになっていただろうと答えている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シベリウスの交響曲第5番』 2023/1/25放送
他の音楽家との関係
ワーグナー
ローマ大賞を受賞し、フランス政府の奨学金を受けてローマに留学していたころ、ドビュッシーはワーグナーの作品に魅了されていて、学生時代にはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を見てスコアを丸ごと暗記したり、留学先のローマでも歌劇「ローエングリン」の舞台を見たり、さらにその後はバイロイトまでワーグナーの作品を聞きに行ったりとかなり傾倒していた様子が伝えられている。
若いドビュッシーがワーグナーの音楽からも大きな影響を受けたことが伺える。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲』 2023/2/9放送
サティ
風変わりな作曲家として知られるフランスの作曲家サティのこれまでのハーモニーの枠を超えた大胆な作曲手法は、ドビュッシーにも影響を与えた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ラヴェルの組曲「クープランの墓」他』 2022/11/29放送
ラヴェル
ラヴェルはドビュッシーを尊敬し、ドビュッシーの「3つの夜想曲」、「牧神の午後への前奏曲」のピアノ編曲やピアノ曲「サラバンド」、「舞曲」の管弦楽版への編曲も行っている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ラヴェルの組曲「クープランの墓」他』 2022/11/29放送
モーリス・エマニュエル
パリ音楽院でモーリス・エマニュエルと知り合い、2人は生涯の友人になった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ドビュッシーの前奏曲集第1巻 他』 2022/07/13放送。モーリス・エマニュエル - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/モーリス・エマニュエル
ドビュッシーの音楽史における位置づけ
後期ロマン派・印象主義
ドビュッシーは交響曲といった様式のある曲を書いていない。オーケストラで演奏する曲としては「牧神の午後への前奏曲」「海」などが知られ、歌曲、ピアノ曲も多い。そういう意味では後期ロマン派に分類していい。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、220項。
しかし、ドビュッシーは、19世紀のヨーロッパで主流だったドイツロマン主義の音楽に対して印象主義と言われる新しい音楽の流れを生み出した。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドビュッシーの二つのアラベスク 他』 2022/10/24放送
なお、ラヴェルもドビュッシーとともに印象主義の作曲家と言われるが、ラヴェルは古典的な調性や古い様式への傾倒を生涯貫き、その作風や方向性はだいぶ違うと言える。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラヴェルの弦楽四重奏曲ヘ長調 他』 2022/9/22放送
ドビュッシーの作品
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