ベートーヴェン
ベートーヴェン
ベートーヴェンの生涯・経歴
ベートーヴェン(1770-1827)はドイツの作曲家である。古典派音楽を集大成した。
誕生・幼少
ベートーヴェンは1770年にドイツ西部の町ボンで生まれた。
祖父はケルン選帝侯の宮廷歌手、父も同じ宮廷歌手だった。
ベートーヴェンに音楽の才能があると分かると、父は徹底的に教育した。
7歳にして初めてのコンサートを開き、10代になるとベートーヴェンはアルコール依存症の父に関わって家計を支えた。そして、12歳までには作品を出版するなど、その才能は幼少の頃から頭角を現していた。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、87項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 ベートーベンが聴きたくて(2)』 2023/4/18放送
モーツァルトに弟子入り?
1787年、16歳になったベートーヴェンはウィーンに向かい、モーツァルトに出会い弟子入りしたとの伝説がある。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、87項。
ウィーン
ハイドンの弟子
60歳を目前にしてエステルハージ家を離れることになったハイドンは1回目のイギリス旅行の際、ボンに立ち寄っているが、その際、ベートーヴェンはハイドンに作品を見てもらい、作曲家としての才能を認められて弟子になることを許された。
そこで、1792年の11月、ベートーヴェンは21歳で生まれ故郷のボンから出て、ハイドンのレッスンを受けるためにウィーンに赴き、活動を始める。
なお、ボンで若いベートーヴェンを応援し、可愛がってくれたパトロンの1人ワルトシュタイン伯爵は出発の際、ベートーヴェンに「たゆまぬ努力を重ね、ハイドンの手からモーツァルトの精神を受け取り給え」というはなむけの言葉を贈っている。
こうして希望に胸を膨らませ、ウィーンにやってきたベートーヴェンであったが、今日残されているハイドンの指導の様子を見ると、あまり熱心ではなかったようである。22歳にはハイドンに弟子入りもしたが、ハイドンはすでに62歳で大音楽家となっていたので、それほど教育熱心ではなかったのである。
ベートーヴェンはそれに不満を持ち、師事するのをやめてしまう。
サリエリ等に師事
その後、何人かの音楽家に師事し、その中にはサリエリもいてイタリア式の声楽の作曲を学んでいる。
ベートーヴェンは1797年から1798年、20代後半の時に第1番、第2番、第3番の3曲のバイオリン・ソナタを作曲し、それらは作品12のソナタとして1799年にウィーンで出版された。古典派の時代、器楽作品は3曲セットでの出版が基本であった。この作品12の3曲のバイオリン・ソナタは儀礼的な献呈ではあったが、20歳年上のウィーンの宮廷楽長サリエリに献呈された。
ベートーヴェンはこの一連のソナタを書いたのち、サリエリから1800年頃からイタリア語歌曲とイタリアオペラの作曲法を学んだ。
イタリア語の歌詞に作曲するにはイタリア人作曲家から学ばねばと門戸を叩いたベートーヴェンに対し、サリエリはほかの弟子に対するのと同じように謝礼を取らずにレッスンを行ったと言われている。
音楽家としての地位確立
こうして、サリエリやアルブレヒツベルガーなど当時の一流の音楽家たちに作曲を学んで努力を重ね、まもなくウィーンでよく知られる作曲家の1人となった。この頃に書かれた作品は作曲する喜びに満ちている。
また、ウィーンでは作曲の勉強をする一方、優れたピアニストとしても活躍し、即興演奏の名手としてウィーンの貴族たちの注目を集めた。鍵盤のヴィルトゥオーソ、華やかな技と音楽性を併せ持つ名手として音楽の都ウィーンで喝采を博した。
以上、NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」 他』 2022/11/24放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ベートーベンのピアノ協奏曲第1番』 2023/1/26放送。小学館 『日本大百科全書』。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 ベートーベンが聴きたくて(2)』 2023/4/18放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ベートーベンのピアノ協奏曲第2番』 。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ベートーベンのバイオリン・ソナタ第1番』 2023/6/18放送。NHK-FM(東京) 『クラシックの庭 ハイドンの交響曲第93番』 2024/4/18放送。中川 右介 『3時間でわかる「クラシック音楽」入門』 青春出版社、2006年、114項。中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、88項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」 他』 2022/9/6放送
30歳になる1800年にはベートーヴェンのための彼自身の指揮による最初の演奏会をウィーンで開き、交響曲第1番を初演した。
小学館 『日本大百科全書』。
翌年の1801年にはピアノ・ソナタ第12-15番など充実した創作活動を行った。
この頃、ベートーヴェンは弟子の女性(ジュリエッタ・グイチャルディ)と恋愛関係にあったとも言われている。
「ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調「幻想曲風ソナタ」(月光)」は彼女に捧げられたものである。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトの「ピアノ三重奏曲 第1番」他』 2022/08/24放送。小学館 『日本大百科全書』
こうして音楽に理解のある貴族たちの援助を得てピアニストとして演奏会に出演したり、自身で自作曲を披露して評価を得るなど、着実に音楽家としての地位を確立していった。
耳の疾患
その一方で、ベートーヴェンを絶望の淵へと追い込んだのが耳の疾患であった。20代後半を迎える頃から耳が聞こえにくくなり、症状は徐々に悪化した。
耳の不調が次第にひどくなり徐々に聴力を失っていく中で、悲観したベートーヴェンは32歳の年1802年にピアノ・ソナタ第15番が出版されるとまもなく療養先のハイリゲンシュタットで家族にあてて有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためた。
そこには耳の疾患への苦悩を綴るとともに、自殺を止めたのは芸術であり、使命を果たすことなく死ぬことはできないとも書かれていた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトの「ピアノ三重奏曲 第1番」他』 2022/8/24放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 ベートーベンが聴きたくて(2)』 2023/4/18放送。NHK-FM(東京) 『ベートーベンのピアノ三重奏曲「幽霊」 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/7放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ボッケリーニの弦楽五重奏曲ホ長調』 2023/2/22放送
しかし、芸術に対する使命感によって立ち直り、この遺書はむしろ決意表明のような形となった。
そして、これを契機に前にも増して作曲に打ち込み、1804年に交響曲第3番「英雄」を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって第5番「運命」や第6番「田園」など中期を代表する作品が書かれ、「傑作の森」(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる黄金期を迎える。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 ベートーベンが聴きたくて(2)』 2023/4/18放送。小学館 『日本大百科全書』。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトの「ピアノ三重奏曲 第1番」他』 2022/08/24放送。
こうしてベートーヴェンの作曲活動は順調であったが、ウィーンでの経済生活は不安定で、苦しい状態が長く続いた。
生涯の大半を宮廷に仕えることなく、ピアニストとして演奏会やレッスンを行ない、作曲家として楽譜を出版することで生計を立てていた。しかしそれだけでなく、何人かの貴族から援助も受けていた。
小学館 『日本大百科全書』。「モーツァルトのように死にたくない」楽聖・ベートーヴェンが"安定収入"に執着したワケ 35歳で早世した悲劇の作曲家の教訓 (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) https://president.jp/articles/-/47861?page=2。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 ベートーベンが聴きたくて(3)』 2023/4/19放送
1808年にウェストファリア国王(ナポレオンの弟)のカッセル宮廷から楽長として招聘されると、その経済的な好条件のために、彼はカッセルに赴く決意を固めた。
しかし、彼の音楽を愛し、その才能を尊敬するルドルフ大公をはじめとするウィーンの3人の貴族は破格の条件で年金を出し合って、ベートーヴェンを生涯オーストリアに定住させる結果となった。
小学館 『日本大百科全書』。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ベートーベンのピアノ三重奏曲「大公」』 2023/9/10放送
ちなみに、ルドルフ大公はベートーヴェンよりも18歳年下1788年生まれのハプスブルグ家の名門貴族である。皇位継承者の1人でもあったが、病弱であったことから政治や軍務ではなく音楽とカトリックに人生を捧げることになった人物である。
ベートーヴェン芸術最大の理解者・友人で、ベートーヴェンの作曲と鍵盤の弟子でもあり、生涯にわたり援助を続けた最大のパトロンである。
NHK-FM(東京) 『ククラシックカフェ ▽ハイドンのチェロ協奏曲第1番 他』 2022/8/30放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ベートーベンの交響曲第8番』 2023/1/8放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ベートーベンのピアノ三重奏曲「大公」』 2023/9/10放送
また、大公はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を最初に弾いたことでも歴史に名を刻んでいる。
NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ベートーベンの交響曲第8番』 2023/1/8放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ベートーベンのピアノ三重奏曲「大公」』 2023/9/10放送
こうしてベートーヴェンはロマン派初期にかけても活躍し、フランス革命・ナポレオン・ウィーン体制期に活躍し、その影響力から「楽聖」と呼ばれた。
ナポレオンを称えて書いた交響曲「英雄」の表紙を、ナポレオン皇帝即位の報を聞き、破り捨てたと言われる。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、188頁。
晩年
師であるサリエリは1825年に74歳で亡くなったが、ベートーヴェンもサリエリが亡くなってから2年後の1827年に世を去った。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲 他』 2023/6/27放送
ベートーヴェンの音楽史における位置づけ
古典派音楽
ベートーヴェンは古典派音楽を「集大成」した。
参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、188頁。
他の音楽家との関係
レイハ
チェコ出身の作曲家、音楽理論家であるレイハは10代半ばでドイツのボンに移り、ボンの宮廷楽団でフルートやバイオリンを演奏した。
ビオラ奏者として同じ楽団に所属していたのが若きベートーベンであった。レイハとベートーベンは同い年でもあったことから意気投合し、生涯を通して良き友人として交流を深めた。
NHK-FM(東京) 『ベートーベンの交響曲第5番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/6/24放送
シューベルト
ベートーヴェンとシューベルトはサリエリの弟子であり、シューベルトはベートーベンを深く尊敬していた。
ベートーベンが亡くなった際には葬儀に参列し、後を追うように翌年亡くなっている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲 他』 2022/06/27放送
ベートーヴェンの作品
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