カリンニコフ
カリンニコフ
カリンニコフの生涯・経歴
カリンニコフ(1866-1901)は19世紀ロシアの作曲家である。チャイコフスキーとラフマニノフの間という世代を生きた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽カリンニコフの交響曲第1番 他』 2022/08/02放送
カリンニコフは1866年生まれ。父は警察官であったが経済的に苦しい家庭に育った。
幼い時から音楽の才能を発揮し、18歳の年にモスクワ音楽院に入学したが、学費を収めることができず、退学になる。
その後、無料で指導を受けることができたモスクワの音楽協会に付属する学校に入学した。ファゴットと音楽理論のクラスに通いながら、オーケストラで演奏を行うほか、個人レッスンや写譜等で生計を立てたと言われている。
1892年、26歳の年に学校を卒業した。
チャイコフスキーに才能を見出され、作曲家の道を歩み始める。
モスクワで歌劇場の指揮者にも就任したが、体が弱かったことから仕事を辞めざるを得なくなった。不治の病である結核を患い、すでに1893年27歳の年からクリミアでの療養生活を余儀なくされていた。
生活が苦しくなるとラフマニノフなどさまざまな友人たちが手を差し伸べたが、1901年に34歳で亡くなった。
なお、夫人はカリンニコフの墓を建てる費用をいくばくか貸してほしいと7歳年下のラフマニノフのもとを訪れている。彼は残されていたカリンニコフの楽譜を夫人から預かり、出版社と交渉し、その楽譜は高額で取引されて婦人に支払われた上、カリンニコフの音楽が残されたというエピソードが残されている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽カリンニコフの交響曲第1番 他』 2022/08/02放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーのバイオリン協奏曲』 2023/1/9放送
カリンニコフの作品
カリンニコフは34歳という若さでこの世を去ったこともあり、なかなか演奏される機会が少ない作曲家であるが、ロシア独特の哀愁を帯びた叙情的な作品を残している。
代表作は「交響曲第1番 ト短調」である。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽カリンニコフの交響曲第1番 他』 2022/08/02放送
交響曲
交響曲第1番 ト短調
カリンニコフは収入がほとんどなく、結核という病魔に蝕まれながらも1894年に取りかかり翌年29歳の年に完成させた作品が「交響曲第1番」である。カリンニコフの代表作として知られている。病床でのつらい時期に作曲されたが、音楽は情熱的で希望に満ちた壮大な作品に仕上がっている。
全4楽章で、ロシア民謡を彷彿とさせる旋律やリズムで情景が貫かれている。
友人たちの協力によって1897年にキーウで初演が実現した。公演は大成功を収め、その後各地で演奏されたと伝えられているが、カリンニコフは作曲家として生涯演奏会に立ち会うことはなかったと言う。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽カリンニコフの交響曲第1番 他』 2022/08/02放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ チャイコフスキーのバイオリン協奏曲』 2023/1/9放送
ピアノ曲
悲しい歌
モスクワの音楽協会に付属する学校を卒業し、作曲活動に入った頃の1892~93年に書かれた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽カリンニコフの交響曲第1番 他』 2022/08/02放送。ヴァシリー・カリンニコフ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァシリー・カリンニコフ
エレジー
現在のページが属するカテゴリ内のページ一覧[全 27 ページ]
- ワーグナー
- グノー
- フランク
- ラロ
- ブルックナー
- ブラームス
- サン・サーンス
- ブルッフ
- ビゼー
- チャイコフスキー
- マスネ
- シャブリエ
- サラサーテ
- フォーレ
- ショーソン
- ダンディ
- モシュコフスキ(モシコフスキ)
- プッチーニ
- マーラー
- アルベニス
- アレンスキー
- リヒャルト・シュトラウス
- デュカス
- ローベルト・カーン
- カリンニコフ
- サティ
- ルクー
現在のページが属するカテゴリのサイトにおける位置づけ