[歴史②]世界史

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ブルックナー


ブルックナー

ブルックナーの生涯・経歴

ブルックナー(1824-1896)はオーストリアの作曲家・オルガン奏者である。熱心なカトリック教徒で教会オルガニストとしても活躍した。

岩波書店 『広辞苑 第六版』。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第4番「ロマンチック」』 2023/7/25放送

少年時代

ブルックナーは、1824年、オーストリアの大都市リンツにほど近い小さな村アンスフェルデンに生まれた。
父はこの村の教師であり、オルガニストで、ブルックナーも幼い頃からこの父親にバイオリンやオルガンの手ほどきを受けて育ち、音楽の才能を示した。
1835年、11歳になる年に初めて本格的な音楽教育を受けた。先生はブルックナーの名付け親も務めたオルガニストであった。オルガンの演奏や音楽理論を学んだほか、ハイドンモーツァルトといった偉大な先人たちの大作を聞く機会にも恵まれたようである。
翌年に父が亡くなり、13歳の頃からはリンツにほど近いザンクトフローリアンにある聖フローリアン修道院で寄宿生として寄宿舎に入り、学業や音楽を学んだ。また、聖歌隊の活動も始めている。
この修道院は聖人フローリアンが亡くなった場所に建てられた由緒ある修道院で、オーストリアで最大級のオルガンがあることでも知られている。少年時代から親しんだオルガンの演奏と聖歌隊の合唱が音楽家ブルックナーの土台となったともいえる。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第3番』 2023/3/15放送。NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送

教師時代

17歳の年には教師となり、20代でザンクトフローリアンの教会のオルガニストに就任した。

NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送

リンツ時代

1855年31歳の年には、ブルックナーはふとしたきっかけからリンツ大聖堂オルガン奏者という要職についた。
1856年から13年間に及ぶリンツ時代は、オルガン奏者から交響曲作家へと脱皮するための修業時代であった。

小学館 『日本大百科全書』

即ち、オルガン奏者に就任した頃に紹介を受けたウィーンの著名な音楽理論家ジーモン・ゼヒターに1861年まで師事して、伝統的な作曲技法の基礎である和声学と対位法の基礎を徹底的に学んだ。
その後、さらに10歳年下のチェリストであり指揮者のオットー・キッツラーのもとでさまざまな器楽ジャンルの形式論と管弦楽法を学んだ。また、当時の新しい音楽ワーグナーリストの作品も教えてもらい、彼の影響でワーグナーは生涯敬愛し続ける作曲家となった。

NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送。NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(3)知られざる交響曲 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/24放送。小学館 『日本大百科全書』

交響曲の作曲

そして、1863年、キッツラー指揮によるワーグナーの歌劇「タンホイザー」のリンツ初演は、38歳のブルックナーに強い衝撃を与えた。こうして彼の交響曲の創作が始まった。まず習作的な交響曲ヘ短調(1863)と交響曲第0番(1864)、そして交響曲第1番(1866)である。

小学館 『日本大百科全書』

このように、現在では19世紀ロマン派の時代に優れた交響曲を書いた作曲家として名高いブルックナーであるが、若い頃は教会のオルガン奏者として活動していた。作曲の理論や管弦楽法を本格的に学んで交響曲の作曲に挑むようになるのは1860年代前半ブルックナーが40代に差し掛かる頃であった。
試行錯誤を繰り返して作曲された交響曲の中には完成した後で出来栄えに自信が持てず、番号がつけられなかった作品もある(交響曲ヘ短調と交響曲第0番)。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(2)交響曲第2番 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/23放送

また、コツコツと書き上げては発表したが、その音楽はなかなか評価されず、初演のほとんどが圧倒的な不評であった。それでも諦めずに続けるうちに1881年交響曲第4番の初演から少しずつ風向きが変わり、作品の評価が次第に高まっていった。そして、訪れた生涯初めての大成功は1884年60歳の時に初演されて大喝采となったのが交響曲第7番であった。

NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送

ウィーン時代

1867年ゼヒターが世を去るとブルックナーは翌年からその後継者としてウィーン音楽院の教授に就任。さらにはウィーン宮廷礼拝堂のオルガニストも務め、拠点をウィーンに移した。
オルガン奏者としてヨーロッパ各地に演奏旅行にも出かけて各地で絶賛された。

NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送

晩年

ブルックナーは大器晩成型の作曲家であったが、晩年には長年の努力が花開き、数々の栄誉が舞い込んだ。
それは、政府からの年金やウィーン大学からの名誉博士号の授与であり、1895年世を去る1年前にはオーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフからベルヴェデーレ宮殿の一角を与えられた。
ここで1896年に72年の生涯を閉じた。その日までブルックナーは交響曲第9番のフィナーレを書き続けた。彼は懐かしいザンクトフローリアン修道院のこよなく愛したオルガンの下に埋葬され、今も眠っている。

NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送

他の音楽家との関係

ワーグナー

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を聞いて感銘を受けたことがきっかけで、ブルックナーは熱心なワーグナーの擁護者となった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第3番』 2023/3/15放送

ブラームス

ブルックナーはブラームスと同時代にウィーンで活躍し、2人は不仲だったことで知られる。
ともに絶対音楽的な交響曲ばかり書き、オペラも交響詩も書かなかったので、傾向は似ているが、ブルックナーが師事したワーグナーブラームスが不仲だったことから、異なる派閥に属したかたちになった。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、206項。

マーラー

1877年、ブルックナーは自身がウィーンフィルを指揮して「交響曲第3番」を初演した。この時、客席で熱心に耳を傾けていたのが、当時17歳でウィーン大学で学んでいたマーラーである。マーラーがブルックナーの講義を受けたことがきっかけで、2人の交流が生まれた。「交響曲第3番」のピアノのための編曲をマーラーに任せることにし、この編曲は1878年マーラーが18歳になる年に初めて出版された記念すべき作品となった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第3番』 2023/3/15放送

ブルックナーの音楽史における位置づけ

後期ロマン派

ブルックナーはワーグナーの影響のもとで独特の重厚な様式を創出し、後期ロマン派音楽を代表する。

岩波書店 『広辞苑 第六版』

絶対音楽

ブルックナーの意義・評価

19世紀後半ドイツの代表的作曲家

ブルックナーは19世紀後半のドイツを代表する作曲家の1人である。
特に、交響曲と宗教曲の分野で音楽史に名を刻んでいる。宗教音楽には造詣が深く、オルガンの即興演奏でも名を馳せた。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(1)交響曲第5番 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/22放送

ブルックナーの作品

作風・音楽傾向など

先述したようにブルックナーはロマン派時代のドイツロマンの重要ジャンルであるオペラと交響詩を書いていない。

ブルックナーの作品の特徴として、形式的にはベートーベンシューベルトの伝統に根ざしていること、和声や管弦楽法にはワーグナーの影響があることが指摘されている。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(1)交響曲第5番 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/22放送

交響曲

熱心なカトリック教徒で教会オルガニストとしても活躍したブルックナーは宗教曲に加え、交響曲にも熱心に取り組んだ。初期に作曲した2曲を除き、第1番から第9番までの9つの交響曲を残した。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第4番「ロマンチック」』 2023/7/25放送

交響曲 ヘ短調(交響曲 第00番)

この作品はリンツ時代の1863年、39歳の年に初めて作曲した交響曲。この作品の作曲様式やオーケストラにはシューマンメンデルスゾーンからの影響が際立つが、所々にブルックナーらしさも感じられる。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(3)知られざる交響曲 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/24放送

交響曲 第0番 ニ短調

ブルックナーは60代になって若い時代に作曲した作品を整理し始めた。その時にこの曲の草稿を見つけ、捨てるかどうか迷ったが、捨てるには忍びないと思い残した作品。
ブルックナーが40代に取り組んだ交響曲で、第0番と呼ばれるようになったのは、この作品の内容に納得できなかったため草稿に「交響曲第ゼロ番」「全く通用しない」「単なる試作」と記入したことによる。
ブルックナーはこの交響曲をウィーンで初演しようと考え、当時の指揮界の実力者オットー・デッソフに楽譜を見せたところ、第1楽章の主題はどこにあるのかと質問され、作品を引っ込めてしまったという逸話が残されている。
作品全体は4つの楽章から構成され、古典派の交響曲の伝統に従っており、ブルックナー特有のオルガン的な響きといったものはまだ強くなっていない。しかし、この曲の多くのモチーフが後の作品で取り上げられているのも特徴的である。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(3)知られざる交響曲 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/24放送

交響曲 第2番 ハ短調

初期の交響曲の1つ。
この交響曲は1872年に一度完成したが、その後友人や演奏家たちからの助言をもとにさまざまな改訂が加えられた。現在演奏される機会が多いのは度重なる改訂を経て出来上がった1877年のバージョンである。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(2)交響曲第2番 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/23放送

交響曲 第3番 ニ短調

全4楽章。ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を聞いて感銘を受けたことがきっかけで、熱心なワーグナーの擁護者となったブルックナーは自身の作品をワーグナーに捧げることを考えた。当時の日記に献呈の言葉の下書きが残されているが、その中でブルックナーはワーグナーを「詩と音の芸術という前人未到の世界の大家」と呼び、強い尊敬の念を抱いていることが伺える。交響曲の第2番か第3番かどちらを献呈するか、ブルックナーは決められず、ワーグナーが第3番を選んた。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第3番』 2023/3/15放送

交響曲 第4番 変ホ長調「ロマンチック」

ブルックナー自身により「ロマンチック」と副題が付けられている。9つの交響曲の中でも親しみやすい明快な主題と美しい響きを備えていて、大変よく知られている。
この交響曲は1874年に一度完成したのち、何度か手直しされ、いくつかの稿や版が存在している。ブルックナーは1878年に曲を全面的に改め、また、1880年に第4楽章を大幅に修正し、第2稿を完成させた。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第4番「ロマンチック」』 2023/7/25放送

交響曲 第5番 変ロ長調

交響曲第5番は1870年代、ブルックナーが50代の時期に作曲と改訂が行われた。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(1)交響曲第5番 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/22放送

交響曲 第8番 ハ短調

この作品は第1稿が演奏不可能と拒否されたことから改訂にほぼ3年を費やし、第2稿が完成したのは1890年66歳の年であった。
古典的な4楽章形式であるが、演奏時間は80分ほどの大作。しかし、長大すぎる交響曲は弟子たちの手で短縮されたり、ブルックナー自身でも縮めてみたり、その結果、さまざまな版が生まれ、後世の研究家、演奏家たちを混乱させた。
そこで、1925年ブルックナー協会が幸いにもウィーンの宮廷図書館に保管されていた自筆譜を基に原典版の楽譜を出版しようと試みた。しかし、ハースを中心に行われたこの作業は第2次世界大戦によって困難を極め、中断されてしまった。
戦後、国際ブルックナー協会の手で今度はノヴァークが校訂をやり直し、改めて長年をかけて刊行した。

NHK-FM(東京) 『特集「大作を聴く」(4)ブルックナーの交響曲第8番 - クラシックの庭 - NHK』 2024/8/1放送

交響曲 第9番 ニ短調

この曲は作曲の途中でブルックナーがなくなったことから未完に終わっている。ただ、完成した3楽章だけでも1時間を超える長さで、まさしく晩年のブルックナーが命を懸けて生みだした集大成と呼ぶにふさわしい傑作。
重厚で神秘的な第1楽章、活発で狂気さえ感じさせる第2楽章、そして第3楽章は崇高で天にも昇るような美しい世界が広がっている。敬虔なカトリック教徒だったブルックナーは、この曲を愛する神に捧げると言葉を残したという。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第9番』 2023/2/6放送

ピアノ曲(ピアノ独奏曲)
幻想曲 ト長調

1868年作曲のピアノ作品。

NHK-FM(東京) 『ブルックナー生誕200年に寄せて(3)知られざる交響曲 - ベストオブクラシック - NHK』 2024/7/24放送

オルガン曲
バート・イシュルの即興

バート・イシュルは風光明媚な土地の名前である。1890年オーストリアの皇女マリー・ヴァレリーがバート・イシュルで結婚式を挙げることになった。66歳になる年のブルックナーも招かれて、オルガンの即興演奏を披露した。即興演奏の対価として名声を博したブルックナーが名実ともに国を代表する存在であったことを伝えるエピソードである。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ブルックナーの交響曲第3番』 2023/3/15放送



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