ショパン
ショパン
ショパンの生涯・経歴
ショパン(1810-1849)はポーランド出身の作曲家である。
1810年にワルシャワ近郊で生まれた。シューマンとは同い年で、メンデルスゾーンの1つ年下である。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、139項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ショパンのピアノ協奏曲第1番 他』 2022/9/15放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ メンデルスゾーンの交響曲第2番』 2023/5/9放送
教育
両親は音楽が大好きで、息子が楽しんでピアノを弾く様子を見て音楽を学ばせることにする。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送
ショパンの最初の音楽の先生は、作曲家でヴァイオリンやピアノも演奏したジブヌイであった。
1817年、7歳の時にジブヌイからピアノを習ったが、ジブヌイは自由に音楽に親しむショパンの才能を押さえつけることなく、同時にバッハやモーツァルトなどの古典を教え、音楽家ショパンの基礎を作っていった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送。フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
また、同年にポロネーズを作曲し、演奏会を開くなど、その才能を期待された。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ フォーレのピアノ五重奏曲ニ短調』 2023/8/23放送
ワルシャワ音楽院時代
1826年にはワルシャワ随一の音楽家と世評の高かったエルスネルが院長を務めるワルシャワ音楽院に入学した。
小学館 『日本大百科全書』
コンスタンツヤとの出会い
ワルシャワ音楽院時代に、後にワルシャワ・オペラの歌手となった美しいコンスタンツヤと出会う。彼女はショパンの初恋の女性となった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ラフマニノフの合唱交響曲「鐘」 他』 2022/11/22放送。フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
ベルリン滞在
1828年にはベルリンに行って2週間滞在し、見聞を広めた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ フォーレのピアノ五重奏曲ニ短調』 2023/8/23放送
パガニーニの演奏との出会い
1829年にパガニーニの演奏を聴き、ドイツのピアニスト・作曲家のフンメルと出会った。
フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
ウィーンでの演奏会
1829年にはワルシャワ音楽院を首席で卒業し、そして、ウィーンで演奏会を開き、大きな成功を収めた。こうしてショパンはウィーンで華やかなデビューを果たした。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ フォーレのピアノ五重奏曲ニ短調』 2023/8/23放送。フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
ウィーン時代
ワルシャワ音楽院を卒業すると、より広い活動の場を求めてワルシャワを離れることを決意し、1830年20歳の年にポーランドを旅立ち、ウィーンに向かった。
しかし、故国での反ロシア暴動、独立革命失敗の報を聞き悲憤と絶望に憔悴した。彼自身は故国の危機に際して同志たちと行動をともにすることを選ばなかったが、この事件はショパンに決定的な影を落とし、彼の創作の根底に流れる悲劇性やニヒリズムの源となった。ショパンは芸術家として生きるべきことをはっきりと自覚して帰国を断念、以後二度と故国の土を踏むことはなかった。
小学館 『日本大百科全書』。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ協奏曲第2番』 2023/6/1放送
ワルツとの出会い
ウィーンでの滞在中、ショパンはここでヨハン・シュトラウスやヨーゼフ・ランナーのワルツを聞き、強い感銘を受けた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドボルザークのスラブ舞曲作品72』 2023/10/3放送
パリ時代
1831年、21歳のときにウィーンを去り、パリへ向かい、その後はパリを拠点に活躍するようになる。
パリの社交界に出入りができるようになったショパンはたちまち社交界のスターとなり、パリの音楽界で活躍するようになる。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、140項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ協奏曲第2番』 2023/6/1放送
ショパンがパリに出て活躍するようになると、間もなくシューマンと出会い、2人は友人になった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ショパンのピアノ協奏曲第1番 他』 2022/9/15放送
また、パリでは1歳年下のリストとも親しくなった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ協奏曲第2番』 2023/6/1放送
ショパンはオペラが大好きで、パリではロッシーニとも出会い、親しくなっている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ショパンのピアノ協奏曲第1番 他』 2022/9/15放送
両親との再会・マリアとの出会いと別れ
1835年、ショパンはカールスバートに行き、そこで生涯最後となる両親との再会を果たした。
パリへ戻る途中、ドレスデンでワルシャワ時代に親交のあったポーランド人貴族一家に会い、娘のマリアと恋に落ちる。
フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
ジョルジュ・サンドとの出会い
1836年、26歳のときにリストの紹介で男装の麗人、女流作家のジョルジュ・サンドと出会う。
ジョルジュ・サンドはショパンより6歳年上で別れた夫との間に一男一女がおり、その数々の恋愛遍歴はパリで知らぬ者はなかった。
そうした女性とショパンは恋に落ちる。
小学館 『日本大百科全書』。中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、141項。フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
そして、2年後にはいっしょに暮らし始めた。
小学館 『日本大百科全書』
1839年からは毎年、ジョルジュ・サンドとフランス中部の小さな町ノアンで夏を過ごした。そこで「英雄ポロネーズ」や「バラード第4番」などの傑作を残している。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シューマンの「リーダークライス 作品39」他』 2022/11/16放送
2人の共同生活は9年間続いた。この間、ショパンは肺結核を病んでいた。
小学館 『日本大百科全書』
父の死
1844年の春、ショパンが34歳になる年に愛する父が亡くなる。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送。NHK-FM(東京) 『ベストオブクラシック ヴェルビエ音楽祭2022(3)』 2022/10/19放送
なお、当時、ショパンの体調はますます悪化していた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ・ソナタ第3番 他』 2022/10/4放送
晩年
1848年、二月革命の喧噪を避けて多年の宿望だったロンドンに渡り、スコットランドにも旅したが、濃霧や寒さに病状は悪化する一方で、ふたたびパリに帰るが経済的にも逼迫し、孤独と焦燥のうちに1949年にその生涯を閉じた。
小学館 『日本大百科全書』
他の音楽家との関係
リスト
先述したようにショパンはパリ時代に1歳年下のリストと親しくなった。2人とも作曲だけでなく、優れたピアニストとしても人気を博した。
リストとショパンは共にそれまでとは違った新しい時代、新しいスタイルのピアニストとして叙情的な演奏で人々を魅了した。しかし、性格はまったく対照的で同じようにロマンティシズム溢れる演奏スタイルとはいってもかたやリストは派手な技巧派として圧倒的な超絶技巧で人々を惹き付け、演奏中にピアノを壊してしまうこともあった。それに対し、ショパンは時には情熱的にまた時にはそっと息を潜めないと聞こえないような小さな音で繊細にキラキラと演奏し、人々を魅了し、ピアニストとしてもその演奏は対照的であった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ協奏曲第2番』 2023/6/1放送
ショパンの音楽史における位置づけ
前期ロマン派
ショパンは前期ロマン派音楽を代表する作曲家である。
フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
ショパンの意義・評価
ピアノの詩人
ショパンはピアノ曲ばかりを書いており、ピアノ曲においては、まさに第一人者と言ってよい。「ピアノの詩人」とも呼ばれる。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、138項。フレデリック・ショパン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フレデリック・ショパン
ショパンの作品
ピアノ曲
先述したようにショパンはピアノ曲ばかりを書いており、協奏曲などピアノとオーケストラの曲もあるが、ほとんどがピアノ独奏曲で、彼自身が弾くためのものであった。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、138項。
練習曲集
ショパン作曲の練習曲(エチュード)は、ピアノのための練習曲の中で最も有名なものの1つであり、次の3つの曲集から構成され、全部で27曲存在する。
練習曲 (ショパン) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/練習曲 (ショパン)
- 練習曲集 作品10
- 練習曲集 作品25
- 3つの新しい練習曲
練習曲ではあるが、音楽的にも完成された作品であり、演奏会でも取り上げられることが多い。愛称がついている作品(「別れの曲」「革命」「木枯らし」など)も多いが、愛称はどれもショパン自身によるものではない。
練習曲 (ショパン) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/練習曲 (ショパン)
24の前奏曲(前奏曲集) 作品28
この曲はジョルジュ・サンドと過ごした地中海のマヨルカ島で完成し、1839年秋に出版された。
ショパンのピアノ芸術の精髄とも言うべき24の前奏曲である。
モデルとなったのはバッハの平均律クラヴィーア曲集で、12の長調と12の短調で書かれた短い小品の24曲が音楽の調性の理論に従って並べられている。ただし、バッハが行った調性の配列とショパンの配列は異なっている。
ショパンは平均律クラヴィーア曲集を愛し、研究していた。弟子たちにピアノを教えるときにもこれを教材として用い、また、ジョルジュ・サンドとマヨルカ島を訪れた際、唯一携えていた楽譜がこの曲集だったと言う。
「雨だれ」など愛称が付けられ、単独で知られるようになった曲もある。
特に広く親しまれている2曲は第7番イ長調とこの第15番変ニ長調「雨だれ」である。
ショパンがバッハを意識した上で、この24の前奏曲を書いたことより、その後ドビュッシー、ラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチが前奏曲集を作曲する。
NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ▽ショパンの24の前奏曲』 2022/07/16放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ショパンの「練習曲集作品10」他』 2022/07/28放送
第4番 ホ短調
この作品はショパンの葬儀で使われた。
なお、イギリスのロックバンド、レディオヘッドが、映画「ロミオとジュリエット」のために書き上げた「Exit Music(For A Film)」は24の前奏曲第4番のモチーフを感じさせる。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 音がつむぐものがたり(2)』 2023/11/7放送
第10曲 嬰ハ短調
「第10曲 嬰ハ短調」は最初の1小節が音やニュアンスを変えながら繰り返されるが、この作品は後世の作曲家にも影響を与えた。
たとえば、ロシアの作曲家ラフマニノフもその1人で、ラフマニノフは1903年に「ショパンの主題による変奏曲」を書き上げた。この曲ではショパンのハ短調の前奏曲のメロディーが形を変えながら22回繰り返される。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送
即興曲
ショパンはピアノのために書いた即興曲を次の4曲残している。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ モシコフスキのピアノ協奏曲』 2023/1/4放送。ショパンの「即興曲」全4曲の難易度順をピアノ講師が解説! | しろくろ猫のおもむくまま https://shirokuroneko.com/archives/17458.html
即興曲という形式はその名の通り自由に思い浮かぶままにといった趣旨を持っているが、即興とは言いながらもよく考えられ、整えられた構成の美しさを持っている。
軽やかな第1番、続いて第2番は静かに始まった音楽に徐々に豊かな表情や動きが加えられていく。そしてショパン後期の味わいが香る第3番。そして有名な第4番「幻想即興曲」は実は4曲の中で最初に書かれた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ モシコフスキのピアノ協奏曲』 2023/1/4放送
ノクターン
ショパンは生涯にわたってノクターンを作曲した。ショパンの作品には情熱的で力強い一面もある。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シェーンベルクの「清められた夜」』 2023/8/17放送
スケルツォ
ショパンはピアノのために4曲のスケルツォを作曲している。
スケルツォ第3番 (ショパン) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/スケルツォ第3番 (ショパン)
スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
ショパンがまだ20代の頃に作曲された情熱的な作品。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ協奏曲第2番』 2023/6/1放送
スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
ショパンがまだ20代の頃に作曲された情熱的な作品。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ協奏曲第2番』 2023/6/1放送
バラード
バラードはもともと詩の形式の1つであったが、それをピアノ曲のジャンルに持ち込んだのがショパンである。ショパンは生涯に4曲のバラードを作曲した。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ』より
なお、ショパンのバラードは、ポーランドの詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩に着想を得て作られたとも言われている。詩の内容を音楽で描写したのではなく、詩から呼び起こされた印象をピアノで表現したと考えられている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ベートーベンのピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」』 2023/1/24放送など
バラード 第4番 ヘ短調
1842年に作曲された。4曲のバラードの最後にあたる。ソナタ、変奏曲、ロンドという3つの形式が組み合わさり、曲全体を通して気分が揺れ動きながら徐々に高揚してゆくような物語性を持っている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ベートーベンのピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」』 2023/1/24放送など
ポロネーズ
ショパンが7歳で作曲した最初の作品はポーランドの民族舞曲ポロネーズであった。ポーランドを離れた後、ショパンは祖国への思いを込めてポロネーズやマズルカを作曲し続けた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンの「幻想ポロネーズ」』 2023/11/29放送
ショパンの作曲家人生はポロネーズにはじまり、マズルカに終わったと言われている。
ヤマハ | ショパンのマズルカは、ピアニストにとって特別な意味をもつ魅力的な作品 | Web音遊人(みゅーじん) https://jp.yamaha.com/sp/myujin/49613.html
ポロネーズはショパンの「軍隊ポロネーズ」(1838)、「英雄ポロネーズ」(1842)、「幻想ポロネーズ」(1846)などの作品で頂点を迎えた。
小学館 『日本大百科全書』
ポロネーズ 作品26(第1番、第2番)
パリに来て5年後の1836年にはじめて作品番号を付けて「2つのポロネーズ」作品26が出版された。
ポロネーズは舞踏音楽として社交界で踊られることが多く、楽曲としてはバッハやベートーベンの作品が演奏されていた。しかし、ショパンのポロネーズはマズルカと同様にポーランドの音楽であることを感じさせながらも、ショパン独特の説得力にあふれる感動的な作品で、人々はその演奏に魅了された。
2つのポロネーズOp.26――ポロネーズ初出版! 豊かな色彩と説得力でパリの人々を魅了|音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」 https://ontomo-mag.com/article/playlist/tadaima-chopin26/
ポロネーズ 変イ長調「英雄」 作品53
かつての恩師ジブヌイが世を去った年に書いた作品。ショパンの最高傑作の1つ。
ショパンが愛したポーランドの勇敢な精神が音楽で描かれている。
なお、「英雄」という名が誰によって付けられたのかは定かではない。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドボルザークのスラブ舞曲作品72』 2023/10/3放送
ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61「幻想」(幻想ポロネーズ)
ショパンが作曲した最後のポロネーズが1846年に出版された「幻想ポロネーズ」。
ポロネーズのリズムが現れる部分は少なく、曲想が次々と変わっていく幻想曲に近い形式で書かれている。
この時期、ショパンは恋人のジョルジュ・サンドとの関係が終わりを迎えつつあり、体調の優れない日々を送っていた。やがて病床につくショパンにとって「幻想ポロネーズ」はピアノのために書かれた最後の大曲の1つになった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンの「幻想ポロネーズ」』 2023/11/29放送
ワルツ
ショパンは演奏会用(舞踊に用いない器楽曲)のワルツを作っている。
岩波書店 『広辞苑 第六版』。三省堂 『スーパー大辞林』
華やかで明るい曲。ワルツの3拍子のリズムがはっきりと刻まれ、舞曲本来の性格を強く残していることからシューマンはこの曲をショパンの肉体と心が躍り上がる円舞曲と表現している。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ドボルザークのスラブ舞曲作品72』 2023/10/3放送
ワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64第2
1846年頃ジョルジュサンドと一緒に生活していた時に作曲された。
NHK-FM(東京) 『ククラシックカフェ ▽ハイドンのチェロ協奏曲第1番 他』 2022/8/30放送
ワルツ 第9番 変イ長調 作品69第1「別れのワルツ(告別)」
1835年、25歳頃に滞在先のドレスデンで書かれた。当時の恋人マリアの元を去る時に贈った作品。完全な別れではなく、これから遠距離恋愛になるというまだ甘い恋の香りが残された曲。
NHK-FM(東京) 『ククラシックカフェ ▽ハイドンのチェロ協奏曲第1番 他』 2022/8/30放送
幻想曲
幻想曲 ヘ短調 作品49
ピアノ独奏のための幻想曲。
幻想曲 (ショパン) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/幻想曲 (ショパン)
31歳になった1841年、ジョルジュ・サンドと過ごしたフランス中部の小さな町ノアンでこの曲を完成させた。
この作品には祖国ポーランドへの思いが込められていると言われることもある。
この幻想曲を絶賛したシューマンは、この作品について「この作品には大胆で嵐のような音の詩人の面目があらわれている。この曲を書きながら、ショパンがどんな姿を目の前に浮かべていたか、想像するしかないが、楽しい光景ではなかっただろう」とショパンに関する批評で書いている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シューマンの「リーダークライス 作品39」他』 2022/11/16放送
子守歌 変ニ長調 作品57
愛する父が亡くなった1844年、ショパンが34歳になる年に書かれた作品。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ラフマニノフの「交響曲 第2番 ホ短調 作品27」他』 2022/08/31放送
室内楽曲
チェロ・ソナタ
チェロ・ソナタ ト短調 作品65
この曲はショパンの友人で優れたチェリストであるオーギュスト・フランショームと演奏するために書かれた。フランショームはパリ時代のショパンをサポートし続け、ショパンの日常の雑務を手伝うほど親しい仲にあった。この長年にわたる友情に感謝して、ショパンはフランショームのチェロと自分のピアノの技量が最大限に発揮できるよう、このソナタを作ったと言われている。
初演は1848年パリでショパンのピアノとフランショームのチェロで行われたが、この初演はショパンがパリで行った最後のコンサートとなった。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ・ソナタ第3番 他』 2022/10/4放送
ピアノ・ソナタ
ショパンは数多くのピアノ曲を書き上げたが、ピアノ独奏用のソナタはたった3曲しかない。
このうち第1番は10代後半に作られた習作風の作品で、まだショパンの独創性が現れていないと言われている。その他の葬送行進曲で有名な第2番と第3番のロ短調ソナタは円熟期に作曲され、どちらもショパンの傑作中の傑作として知られている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ・ソナタ第3番 他』 2022/10/4放送
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58
全4楽章。この曲は1844年に作曲された。当時、ショパンは体調がますます悪化し、また父の死の知らせを受けて精神的に落ち込んでいた。そうした状況にもかかわらず、その年の夏にフランス中部ノアンのジョルジュサンドの住まいで気持ちを新たに書き上げたのがこの作品である。このソナタは深い味わいを持ち、美しさに満ちている。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ショパンのピアノ・ソナタ第3番 他』 2022/10/4放送。NHK-FM(東京) 『ベストオブクラシック ヴェルビエ音楽祭2022(3)』 2022/10/19放送
ピアノ三重奏曲 ト短調 作品8
ショパンの初期の室内楽曲で、18歳のときワルシャワ音楽院で学んでいた時期に作曲した。
ヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成で全4楽章からなる。ピアニストのエマニュエル・アックスはこの楽曲が演奏される機会が少ないことを嘆いている。青年ショパンのアイデアの豊かさ、優美さ、そして独特の色彩や多様性が感じられる知られざる名曲。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ メンデルスゾーンの交響曲第2番』 2023/5/9放送
ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11
ジャパンが20歳の年にポーランドで作曲した。
この協奏曲はピアノ協奏曲第2番よりも楽譜の出版が先になったことから第1番として親しまれているが、実際に作曲されたのは第2番の翌年1830年である。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ショパンのピアノ協奏曲第1番 他』 2022/9/15放送
ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 作品21
全3楽章。ショパンがワルシャワ音楽院を卒業した直後の1829年、19歳の年に書き上げた曲である。初恋の女性コンスタンツヤへの打ち明けられないひそやかな恋心が込められていると言われている。
なお、先述したように、この曲はピアノ協奏曲第1番よりも先に完成していたものの出版のタイミングにより番号が前後することになった。ピアニストとして名を挙げるために満を持して作曲した初の協奏曲である。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ラフマニノフの合唱交響曲「鐘」 他』 2022/11/22放送
モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲 作品2
完成は1827年、ショパン17歳の意欲作であり、初めての管弦楽付き作品である。
ラ・チ・ダレム変奏曲 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ラ・チ・ダレム変奏曲
シューマンはこの曲を知ってまだ会ったこともないショパンの才能に驚き、1831年この作品を絶賛した評論文を発表した。シューマンならではの文学的でやや大げさな表現にショパンは当惑気味だったが、シューマンに会うとすぐに感謝の言葉を述べたと言う。
この変奏曲からもオペラ好きだったというショパンの姿が伺える。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ショパンのピアノ協奏曲第1番 他』 2022/9/15放送
その他協奏曲
アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
1831年21歳の時に「華麗なる大ポロネーズ」をウィーンで完成させた。この作品は管弦楽とピアノのために作曲されていた。
その後、パリに行ったショパンは1834年から翌年にかけて序奏となる「アンダンテ・スピアナート」の部分を書き足した。それによって完成したのがこの作品で、1835年パリで初演され、翌年出版された。
管弦楽のパートを外したピアノ独奏用の編曲をショパン自らが行い、現在では独奏曲として演奏されることが多い華やかな作品。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ フォーレのピアノ五重奏曲ニ短調』 2023/8/23放送
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