ドイツ―バッハ
バッハ
バッハの生涯・経歴
バッハ(1685-1750)は、ドイツの作曲家である。その生涯のほとんどをドイツで過ごした。
オルガン奏者としても知られる。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、188頁。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ヘンデルの組曲「水上の音楽」ヘ長調』 2023/3/20放送
バッハはヘンデルと同じ年1685年に、ドイツ中部の町アイゼナハで音楽家一族に生まれた。
当時の音楽家は芸術家というより職人であり、家業だった。幼い頃は音楽家だった叔父や兄に音楽の手ほどきを受けた。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、53項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バッハのブランデンブルク協奏曲第4番』 2023/7/26放送
バッハはヴァイマルやケーテンといった宮廷音楽家になり、音楽家として何度も転職している。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バッハのブランデンブルク協奏曲第4番』 2023/7/26放送。中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、53項。
ヴァイマル時代
1708年、バッハはドイツ中部に位置するヴァイマルに移り、ザクセン・ヴァイマル公国の領主ヴィルヘルム・エルンスト公の宮廷音楽家兼宮廷オルガニストとなった。
ヴァイマル公国はバッハが仕えるヴィルヘルム・エルンスト公と甥にあたるエルンスト・アウグスト公の2人による共同統治がなされていたが、バッハがことさら親しい関係を結んだのはエルンスト・アウグスト公の弟ヨハン・エルンスト公子であった。彼は音楽の才に恵まれるとともに貴族が身に付けるべき教養の1つとして音楽を愛好するというレベルを超えて、心の底から音楽を愛していたからである。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(1)』 2022/08/22放送
1714年3月には楽師長に昇格し、当時病気がちであった宮廷楽長に代わり、4週間に1曲カンタータを作曲・上演する職務を担う。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(1)』 2022/08/22放送
ケーテン時代
バッハは1717年には中部ドイツの城下町アンハルト・ケーテンに移った。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽ブラームスの交響曲第4番 他』 2022/08/08放送
そして、1717年から23年までの6年間をケーテンの宮廷楽長として過ごした。
当時のケーテンの君主レオポルト侯は、自らもヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する無類の音楽好きで、彼のもとで宮廷楽長となったバッハは侍従長と並ぶ、宮廷で第2の高給を得ることができた。宮廷楽長カペルマイスターの地位は、当時のドイツ語圏において、音楽家の望む最高のポストであった。しかも、音楽をこよなく愛するとともにバッハの音楽的才能を正当に評価してくれる君主のために自らの音楽的能力を存分に発揮できる環境は、バッハの65年の生涯の中でももっとも恵まれたものと言えるであろう。このため、バッハは音楽を愛するのみならず深く理解する、この君主のもとで一生を過ごすつもりだったと、幼い頃の友人エルトマンにあてた1730年の手紙の中で述べている。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ バッハの「無伴奏チェロ組曲」原曲と編曲、その魅力(1)』 2022/11/21放送
バッハがケーテンで宮廷楽長を務めていた1717年から23年にかけては、世俗音楽の傑作が数多く作られた。
当時のケーテンの宮廷楽団には楽器の名手が集められており、バッハはこのメンバーを念頭にブランデンブルク協奏曲を作曲するとともに無伴奏チェロ組曲や無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータなど無伴奏の弦楽器のための作品にじっくり取り組むことができたのである。
また、成長していく長男ヴィルヘルム・フリーデマンと次男カール・フィリップ・エマヌエルや増え続ける弟子たちの教育用に、インヴェンションとシンフォニア、イギリス組曲、平均律クラヴィーア曲集など数々のクラヴィーア作品が書かれたのもこの時代であった。
ケイテン宮廷での生活は、幅広いジャンルの器楽曲を次々と生んだ傑作の森ともいうべき実り大きい6年間だった。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ バッハの「無伴奏チェロ組曲」原曲と編曲、その魅力(1)』 2022/11/21放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バッハのブランデンブルク協奏曲第4番』 2023/7/26放送
なお、この時期の1720年にバッハの最初の妻が亡くなっている。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
そして、1721年に宮廷ソプラノ歌手のアンナと2度目の結婚をした。アンナは13人の子供をもうけ、バッハの作品の写譜を行うなどバッハをよく助けた。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 冬のぽかぽかクラシック(3)』 2022/12/21放送
ライプツィヒ時代
1723年、バッハはライプツィヒの聖トーマス教会の音楽監督にあたるカントルに就任し、1750年に亡くなるまでこの地位にとどまった。
中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、54項。小学館 『日本大百科全書』。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バッハのブランデンブルク協奏曲第4番』 2023/7/26放送
教会の活動以外にもライプツィヒ大学の学生によるコレギウム・ムジクムという演奏団体を指導した。そして毎週演奏会を開き、バッハも出演した。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バッハのブランデンブルク協奏曲第4番』 2023/7/26放送
自費出版
1726年からは自作の鍵盤音楽の出版を開始した。
当時楽譜の出版は費用がかさむ実にリスキーな事業であった。そのため、作曲家は君主に楽譜を献呈し、出版費用は献呈された人物に負担してもらうというのが一般的であった。しかし、バッハはすべて自費で楽譜を出版した。
バラ売りで出版したチェンバロ組曲を修正の上に合本してクラヴィーア練習曲集第1部として「6つのパルティータ」(BWV825-83)を1731年に出版し、さらに1735年にはクラヴィーア練習曲集第2部として「イタリア協奏曲」(BWV971)と「フランス風序曲」(BWV831)を出版した。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(5)』 2022/08/26放送
コレギウム・ムジクムの指導
テレマンが1701年に創設したアマチュア(ライプツィヒ大学の学生達)の音楽団体コレギウム・ムジクムを、1729年からはバッハが指導にあたった。
バッハは、このコレギウム・ムジクムも率いてライプツィヒで盛んに演奏活動も行った。ライプツィヒのコーヒーハウスでも定期的にコンサートを開き、その演奏は、新聞などでも高く評価されたという。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ バッハのクリスマスにまつわる作品を中心に(4)』 2022/12/8放送。コレギウム・ムジクム - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/コレギウム・ムジクム。NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ バッハのクリスマスにまつわる作品を中心に(5)』 2022/12/9放送。NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ バッハの新年の音楽を中心に(3)』 2023/1/4放送
バッハの音楽史における位置づけ
古典派音楽
バロック音楽
バッハやヘンデルがバロック音楽を大成した。
そして、それを引き継いでモーツァルトらが古典派音楽を完成させることになる。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、239頁。
しかし、生前のバッハは作曲家というよりもオルガンの演奏家・専門家として、また国際的に活躍したその息子たちの父親として知られる存在にすぎず、その曲は次世代の古典派からは古臭いものと見なされたこともあり、死後は急速に忘れ去られていった。
それでも息子たちやモーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リストなどといった音楽家たちによって細々と、しかし確実に受け継がれ、1829年のメンデルスゾーンによるマタイ受難曲のベルリン公演をきっかけに一般にも高く再評価されるようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/バッハ
バッハの意義・評価
音楽の父
バッハは近代音楽の創始者(「音楽の父」※)とされる。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、3頁。
※日本の音楽教育では「音楽の父」と称された(ウィキペディア)。
バッハの作品の編曲
ブゾーニ
19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したイタリアの音楽家であるブゾーニはバッハ作品の編曲も多く手がけている。
ブゾーニは、「バッハの音楽は時代の先を行っていて、かつ時代を超えるものである。バッハの音楽にはバロック時代の表現手段では不十分であった」と語っている。
ブゾーニは、近代に発展を遂げ、機能が向上した様々な楽器を用いることによりバッハの意図をより明確に表現できると考えていた。
原曲を編曲することには、さまざまな議論があるが、多くの音楽家が独自の解釈や表現を試してみたくなる、そんな魅力をバッハの音楽が持っていることは間違いない。
NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ バッハのゴールトベルク変奏曲 他』 2022/10/11放送
他の音楽家との関係
ヴィヴァルディ
ヴィヴァルディはバッハに大きな影響を与えた。
岩波書店 『広辞苑 第六版』
中でも彼の協奏曲集「調和の霊感」はバッハの創作活動に決定的な影響を及ぼした。バッハ独自の鍵盤音楽における魅力の数々は、実はヴィヴァルディの協奏曲との出会いを通じて生み出されたものである。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(1)』 2022/08/22放送。NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(2)』 2022/08/23放送
リトルネッロ形式
ヴィヴァルディの「調和の霊感」に収められた協奏曲からバッハが学び取った最も重要な事柄の一つがリトルネッロ形式である。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(2)』 2022/08/23放送
バッハはヴィヴァルディの協奏曲をクラヴィア用に編曲し(たとえば、「協奏曲 ヘ長調 BWV978(Concerto After Vivaldi In F, BWV 978)(ヴィヴァルディの「「調和の霊感」作品3第3番 バイオリン協奏曲 ト長調」からの編曲)」など)、また、ヴィヴァルディの協奏曲編曲を通じて身につけた手法(リトルネッロ形式)を自作にも応用している(たとえば、「イギリス組曲」第2番から第6番までの前奏曲(English Suite #2-6, BWV807- 811 - Prelude))。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(2)』 2022/08/23放送
なお、バッハによるクラヴィア用の編曲とヴィヴァルディの協奏曲との違いは、主役の旋律を脇役の伴奏が支えるというヴィヴァルディの協奏曲における基本構造に対して、バッハは主役の旋律にこれと対等な新たな旋律を加え、音楽全体をより立体的にしている点である。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(2)』 2022/08/23放送
バッハのように長大な作品を書く作曲家にとってヴィヴァルディから学んだリトルネッロ形式は音楽的なアイディアを、調性を次々に変えつつ大規模に発展させながらも、全体を首尾一貫した統一体として論理的に構築するために欠かせないフォーマットとして機能している。
NHK-FM(東京) 『古楽の楽しみ ▽ヴィヴァルディからバッハへ(4)』 2022/08/25放送
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