中央ユーラシア(内陸アジア・広義の中央アジア)
中央ユーラシアとは
中央ユーラシアの定義・意味など
中央ユーラシアとは、東の大興安嶺(大シンアンリン山脈)から西の南ロシア草原にいたるユーラシア中央部をいう。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、53頁。護雅夫・岡田英弘編 『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』 山川出版社、1990年、まえがき。
中央ユーラシアの別名・別称・通称など
内陸アジア・広義の中央アジア
以前は内陸アジアと言われていたが、最近は中央ユーラシアとも呼ばれるようになった。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、53頁。
また、広義の中央アジアという用語の内容ともほぼ一致する。
平凡社 『世界大百科事典』
中央ユーラシアの概念の目的・役割・機能
ウラル系・アルタイ系語族
中央ユーラシアという用語は、1960年代にハンガリー系のアルタイ学者サイナーが使用して以来、日本を含む世界の学会で次第に用いられるようになった。
この概念の目的とするところは、ウラル系(フィン人・マジャール人・エストニア人)・アルタイ系(トルコ人・モンゴル人・ツングース人)の諸民族が居住してきたすべての地域を含むということである。
したがって、この概念は地理的な実態というよりは文化的な概念である。
『中央ユーラシアを知る事典』 平凡社、2005年、346頁。
中央ユーラシアの範囲
先述したように、中央ユーラシアは「文化的な概念」であり、地理的に「明確な境界線があったわけではない」※が、護雅夫・岡田英弘編『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』(山川出版社、1990年)では、次の通り範囲付けをしている
※『中央ユーラシアを知る事典』 平凡社、2005年、346頁。
東部
大興安嶺(大シンアンリン山脈)
西部
北部
中央ユーラシアの北境は、極北のツンドラ地帯の南を東西に走る広大な森林地帯である。
なお、この地帯は、いわゆる北方狩猟民の世界であったが、ウラル系諸民族こそ、この北方狩猟民の伝統を中央ユーラシアの西部領域において継承・発展させてきたのである。
南部
中央ユーラシアの南境は、カフカス山脈、ヒンドゥークシュ山脈、パミール高原、タリム盆地の南縁を形づくるクンルン山脈とアルチン山脈、南流するまでの黄河、さらに万里の長城地帯、―これらを結ぶ線であるといってよい。
中央ユーラシアの分類
草原・オアシス
中央ユーラシアは、砂漠と草原の乾燥地帯と、比較的水資源に恵まれたオアシス農耕地帯に大別される。
草原地帯では遊牧民(→騎馬遊牧民・遊牧国家)が、オアシス地帯では農耕民と商業民(→オアシス都市国家)が主に活動した。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、53頁。
草原
天山山脈とシルダリヤ川とを結ぶ線の北方には草原地帯が連なっている。
具体的には、東から西へ、モンゴル高原、ジュンガル盆地の南北辺、カザフ高原、アラル海・カスピ海北方のカザフスタン、黒海北方の南ロシア草原にわたる。
草原地帯は「草原の道」として騎馬遊牧民の世界であった。
参考:護雅夫・岡田英弘編 『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』 山川出版社、1990年、まえがき。
オアシス
オアシスは、人の目にも比べられるタリム盆地(西トルキスタン)のタクラマカン砂漠の周囲(北側・南側)や、中央アジア(東トルキスタン)のアラル海に注ぐアムダリヤ川・シルダリヤ川流域などに分布する。
参考:護雅夫・岡田英弘編 『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』 山川出版社、1990年、まえがき。
オアシスにはオアシス都市国家が形成された。
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