[歴史②]世界史

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語族―アルタイ語族―トルコ人―セルジューク人


セルジューク人とは

セルジューク人の定義・意味など

セルジューク人とは、トルコ系遊牧民オグズの族長セルジュークおよび彼を始祖とするその一族(セルジューク家)に率いられたトルコ系の(トルコ語を話す)イスラム教徒の遊牧民をいう。

岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、25-26項。小学館 『日本大百科全書』。セルジューク朝 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/セルジューク朝

補足

セルジューク人はセルジューク家の下に結集した様々な集団の集合体というべきものである。

参考:セルジューク朝 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/セルジューク朝

セルジューク人の歴史

セルジューク朝

オグズの22氏族の筆頭であるクスク氏族出身の族長セルジュークは、10世紀後半にアラル海東方シルダリア河口のジャンドを根拠地として遊牧生活を行いながらイスラーム教に改宗し、イスラム化したトルコ人(→マムルーク)を集めて勢力をなした。

中央ユーラシアを知る事典』 平凡社、2005年、290・100頁。『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、520頁。セルジューク朝 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/セルジューク朝。オグズ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/オグズ

セルジュークの子イスマーイールはサーマーン朝(イラン系イスラム王朝)、カラハン朝(トルコ系イスラム王朝)、ついでガズナ朝(サーマン朝のトルコ人奴隷がアフガニスタンで樹立した軍事政権)と同盟して力を伸ばした。
セルジュークの孫トゥグリル・ベクらはサーマーン朝を滅ぼしたカラハン朝と対立し、1038年に現在のイラン領内に入ってセルジューク朝を建てた。

小学館 『日本大百科全書』。『中央ユーラシアを知る事典』 平凡社、2005年、368頁。セルジューク朝 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/セルジューク朝



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