[歴史②]世界史

世界史のサイトです。


シューベルト


シューベルト

シューベルトの生涯・経歴

シューベルト(1797-1828)はオーストリアの作曲家である。ウィーンに生まれ、ウィーンで亡くなった。

NHK-FM(東京) 『シューベルトの交響曲第1番 - 音楽の泉 - NHK』 2023/7/16放送

1797年、オーストリアのウィーンの郊外で生まれた。
父は小さな学校の経営者であり、教師であり、アマチュア音楽家でもあったので、シューベルトにも音楽を教えていた。
ハイドンモーツァルトベートーヴェンの室内楽を家族で演奏していたという。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、99項。

少年時代、11歳になった1808年にコンヴィクトと呼ばれたウィーンの寄宿制王立神学校に入って音楽を学び、少年合唱団員(ウィーンの帝室宮廷礼拝堂の少年合唱団(現ウィーン少年合唱団))を務める。神学校のオーケストラでは主にビオラを担当したほか、バイオリンを弾き、弦楽四重奏にも取り組んでいる。

また、17歳までサリエリの指導を受けている。
なお、シューベルトとサリエリの最初の出会いは11歳のシューベルトが少年合唱団に入団するため、父と共に審査員であるサリエリのもとを訪れたときである。
その後、サリエリはシューベルトの作曲の才能を高く評価し、無償で週2日の個人レッスンをするようになった。レッスンは1811年から14年まで続き、その後2年間、シューベルトはサリエリの家を度々訪れ、教えを請うた。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」他』 2022/06/29放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」 他』 2022/9/6放送。NHK-FM(東京) 『シューベルトの交響曲第1番 - 音楽の泉 - NHK』 2023/7/16放送。NHK-FM(東京) 『シューベルトのバイオリン・ソナチネ第1番 - 音楽の泉 - NHK』 2024/4/14放送

1813年、16歳の時に声変わりをして合唱ができなくなると、神学校を去り、地元で学校を経営していた父のもとでシューベルトも教壇に立つことになった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」他』 2022/06/29放送。平凡社 『世界大百科事典』

なお、進学校を離れた1813年の暮れには、寮のすぐ近くに建っていたウィーン大学の講堂で、ベートーヴェン交響曲第7番と交響曲「ウェリントンの勝利」(通称「戦争交響曲」)が公開初演されている。思春期のシューベルトは40歳台前半のベートーヴェンを仰ぎ見ていたわけである。

NHK-FM(東京) 『音楽の泉 シューベルトの交響曲第3番』 2023/1/29放送

シューベルトの音楽活動は寮生活時代に始まり、その後、友人たちを介して彼の活動は少しずつ広がっていった。
そして、できあがった室内楽作品やオーケストラ曲に初演の機会を提供するウィーンの富裕層やプロのヴァイオリニストも出てきた。

NHK-FM(東京) 『音楽の泉 シューベルトの交響曲第3番』 2023/1/29放送

1815年頃からはピアノ・ソナタの創作に熱意を見せるようになり、数多くの傑作を残している。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトの交響曲第8番 他』 2022/9/20放送

1818年と1824年の2回、シューベルトはヨハン・エステルハージ家の音楽家庭教師として、ハンガリーに招かれている。2人の娘に音楽を教えるためである。
なお、シューベルトは次女のカロリーネに思いを寄せたといわれる。

小学館 『日本大百科全書』

シューベルトは晩年の1827年から28年にかけて歌曲集「冬の旅」や「最後の3つのソナタ ピアノ・ソナタ」(D958-960)など傑作を次々と作曲した。
なお、この「ピアノ・ソナタ」は3曲ともベートーヴェン様式を模している。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトの「ピアノ三重奏曲 第1番」他』 2022/08/24放送。フランツ・シューベルト - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・シューベルト

ベートーヴェンとシューベルトはサリエリの弟子であり、シューベルトはベートーヴェンを深く尊敬していた。
ベートーヴェンが亡くなった際には葬儀に参列し、後を追うように翌年の1828年に亡くなっている。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲 他』 2022/06/27放送

人物像

バイオリン

シューベルトは私たちが漠然と思い描く以上にバイオリンに親しみ、この楽器のためにたくさんの曲を書いた。
先述したようにウィーンの寄宿学校のオーケストラではバイオリンを弾き、弦楽四重奏にも取り組んでいる。また、シューベルトの兄フェルディナントはウィーンでは少々名の知れたバイオリニストであった。

NHK-FM(東京) 『シューベルトのバイオリン・ソナチネ第1番 - 音楽の泉 - NHK』 2024/4/14放送

シューベルトの音楽史における位置づけ

ロマン主義音楽・ウィーン古典派

シューベルトは古典派からロマン派への転換期を生きた。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 選 シューベルトの交響曲第7番「未完成」』 2023/2/13放送

生まれた年が19世紀に近いのでロマン派に分類されるが、古典派とすべきとの説もある。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、98項。

シューベルトの意義・評価・解釈

歌曲の王

シューベルトは「野ばら」など美しい旋律の歌曲を数多く残し、「歌曲の王」と呼ばれた。

『世界史用語集』 山川出版社、2014年、233頁。

1815年、18歳のシューベルトは1年で150曲近い歌曲を始め、矢継ぎ早に作品を書き上げた。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」他』 2022/06/29放送

その短い生涯におよそ600曲もの歌曲を生み出し、その創作は10代半ばから最晩年まで続けらた。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトの交響曲第8番 他』 2022/9/20放送

シューベルトの再評価

シューベルトといえば「歌曲王」というイメージがあるが、交響曲やピアノ・ソナタなどにも傑作を残している。それを見出したのが、シューマンメンデルスゾーンである。

シューマンベートーヴェンやシューベルトを敬愛し、シューベルトが31歳で世を去った後、1938年28歳の頃にウィーンを訪れて2人の墓を訪れ、さらにシューベルトの兄の家を尋ねて、兄の元に残されたシューベルトの楽譜を見せてもらう。
そのときシューマンによって見出されたのが、今日「グレート」の愛称で親しまれている交響曲第8番であった。シューマンはすぐに友人のメンデルスゾーンにこの曲を託し、メンデルスゾーンもその真価を認めて自らの指揮で初演した。これがシューベルトの音楽を世界に知らしめる大きなきっかけとなった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 選 シューマン交響曲第3番「ライン」』 2023/3/9放送

シューベルトの作品

次のページを参照

シューベルト―作品



現在のページのサイトにおける位置づけ

 現在のページが属するカテゴリ内のページ一覧[全 12 ページ]

  1. パガニーニ
  2. シュポーア
  3. ウェーバー
  4. シューベルト
  5. シューベルト―作品
  6. ベルリオーズ
  7. メンデルスゾーン
  8. シューマン
  9. クララ・シューマン
  10. ショパン
  11. ヴェルディ
  12. エルンスト

 現在のページが属するカテゴリのサイトにおける位置づけ



プライバシーポリシー