[歴史②]世界史

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モーツァルト


モーツァルト

モーツァルトの生涯・経歴

モーツァルト(1756-1791)はオーストリアの音楽家である。

1756年にザルツブルクで生まれた。
父レオポルトは大司教の宮廷音楽家で、この町の宮廷楽団に勤めていた。この父によりモーツァルトの音楽の才能は見出された。
姉が音楽を習っていたのをそばで聞いているだけで、和音を弾くことができた。絶対音感があったのである。
4歳の時から父にピアノの手ほどきを受け、5歳にして最初の小品を作曲したという。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、79項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送

ヨーロッパ各地演奏旅行

並外れた音楽の才能を表していたモーツァルトは6歳になるころから父に連れられ、ヨーロッパ各地を旅してまわり、姉ナンネルと共に貴族の館や宮廷で演奏を行ってはその神童ぶりを発揮した。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送

このヨーロッパ旅行には、田舎町であるザルツブルクからもっと都会の宮廷楽団で働きたいという父親の就職活動と、神童モーツァルトの興行という2つの目的があったらしい。
モーツァルトは職を求め、また、ヨーロッパ各地のさまざまな音楽に触れるために、父親と共に旅から旅の日々を過ごした。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、149項。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーの「組曲第4番モーツァルティアーナ」他』 2022/08/04放送

父はモーツァルトにクラヴィーアやバイオリンといった楽器を教えただけでなく、作曲の手引きもした。小品から作曲を始めさせ、徐々に楽器を増やして、ロンドンに滞在していた8歳の頃には交響曲を、そして12歳の頃のウィーン滞在中にはオペラやミサ曲といった規模の大きな作品の制作を試みるようになる。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送

しかし、ヨーロッパでの就職活動は失敗し、父子ともザルツブルクの宮廷楽団で働くことになる。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、149項。

パリ

ロンドン

ロンドンでは、モーツァルト(当時8歳)は大バッハの末息子ヨハン・クリスティアン・バッハと親しくなり大きな影響を受けたという。

参考:NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽モーツァルトのピアノ協奏曲第12番 他』 2022/06/24放送など

ウィーン

イタリア

イタリア旅行は3回行っている。
1770年、14歳の年に初めてイタリアを訪れた。父レオポルトと共にイタリア各地を巡って本場のオペラを学び、自ら作曲、上演も行った。
この時、モーツァルトがローマに到着したのが1770年4月で、モーツァルトはすぐにバチカンのシスティーナ礼拝堂を訪れ、そこで17世紀の作曲家アッレグリの「ミゼレーレ」を聴いた。この曲は復活際に先立つ決まった時期の典礼でしか聴くことのできない門外不出の曲とされていたのだが、モーツァルトはローマに到着してすぐにこの曲を聴くチャンスに恵まれた。大変美しいこの宗教作品を聴いた14歳のモーツァルトは宿に帰ると早速記憶を頼りに楽譜に書き取ってしまったというエピソードが伝えられている。
3回目のイタリア旅行からザルツブルクに帰り、その後、またウィーンに訪れている。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーの「組曲第4番モーツァルティアーナ」他』 2022/08/04放送

マンハイム・パリ旅行

1777年、21歳になったモーツァルトは故郷ザルツブルクで宮廷音楽家として働いていた。
しかし、大司教の求めに応じて曲を書く毎日にモーツァルトの不満は募り、宮廷音楽家をやめてしまう。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送

そして、新しい就職先を探すために母親と共にドイツのマンハイム、フランスのパリに赴く。
しかし、マンハイムではソプラノ歌手アロイジア・ヴェーバーに恋をして破れ、パリでは付き添って来た母を1778年に亡くして大きな悲しみにくれる。
マンハイム滞在中にモーツァルトは5曲のバイオリン・ソナタを作曲したが、それからほどなくしてモーツァルトは次の目的地、パリへと旅立った。

しかし、希望にかなう仕事も見つからず、モーツァルトは失意のままザルツブルクに帰っていくことになる。目的は果たせなかったものの、モーツァルトはこの旅で新たな音楽的経験を積み、多くの人々との出会いや別れの体験はより陰影に富んだ作品として実を結んだ。この約16カ月に及ぶ、いわゆる「マンハイム・パリ旅行」で、モーツァルトは多くの芸術的な刺激を受け、名曲を書いたのである(交響曲第31番「パリ」など)。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽シューベルトのピアノ五重奏曲「ます」他』 2022/06/29放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」』 2022/11/13放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送。小学館 『日本大百科全書』。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ プーランクの2台のピアノのための協奏曲』 2023/11/20放送

ザルツブルク

1779年1月、モーツァルトは1年4カ月にわたるマンハイム・パリ旅行を終えて故郷のザルツブルクに戻ってきた。新しい職を求めての旅であったが、良い結果は得られず、旅の間には母を亡くし、情熱的な愛と失恋も経験した。帰ってきたザルツブルクでは大司教の宮廷に仕える音楽家としての生活が始まった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ プーランクの2台のピアノのための協奏曲』 2023/11/20放送

再び宮廷で働き始めたものの、大司教への不満は募るばかりであった。当時はお抱えの宮廷音楽家や楽長になることが音楽家として安定した生活を送る一番の手段であった。しかし、あまりにも豊かな才能と良くも悪くも子供のようなところがあったモーツァルトは宮廷音楽家という枠に収まることができなかった。
大司教と折り合いが悪く、こらえきれなくなったモーツァルトは仕事を辞め、ウィーンでフリーの音楽家として生きていこうと決意する。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ協奏曲第20番』 2022/12/4放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(4)』 2022/12/8放送

ウィーン時代

そして、1781年、25歳の時にザルツブルクの宮廷楽団を辞めて、ウィーンに移り、ここを拠点としてフリーの独立した鍵盤楽器奏者、作曲家、音楽の教師として活動を始める。
その後、1791年に世を去るまでのおよそ10年間、ピアニストや作曲家として活動し。 数々の名作を残した。
ウィーンではピアノの弟子を取って教えることでなんとか生活を維持して作曲に集中した。しかし、自由に活動できる反面、生活の保障はないので、モーツァルトは自らピアノを弾く会員制の予約演奏会を企画して会員を募るなど様々な工夫も凝らして精力的に活躍した。
また、予約演奏会のためにピアノ協奏曲を数多く作曲したり、貴族の婦人や子どもたちのピアノのレッスンのために可愛らしい小品を作曲するなど目的に合わせた作品も生まれていった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」他』 2022/08/29放送。小学館 『日本大百科全書』。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(4)』 2022/12/8放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ・ソナタ第13番変ロ長調』 2023/4/2放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ヒナステラピアノ協奏曲第1番』 2023/1/18放送

ピアノを教え、音楽会を催し、作品を書き、それを出版したりして収入を得ていく。近代的な音楽家の生活を実践したのである。印税がないのを除けば、現代の音楽家とほぼ同じである。

中川 右介 『クラシック音楽の歴史』 角川ソフィア文庫、2017年、79-80項

ウィーンでの活動の花は、宮廷劇場や市民の社交場を借りて行う自作自演のコンサートであった。事前に予約を募ってモーツァルトが開催する主催コンサート、いわゆる予約演奏会、定期演奏会である。そこでは特にピアノ協奏曲が主役を演じた。ピアノ協奏曲の自作自演はウィーンでのモーツァルトの活動の華、大切な収入源であった

NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ協奏曲第20番』 2022/12/4放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ協奏曲 第26番「戴冠式」』 2024/3/17放送。

とりわけウィーンに拠点を移してから3年後、1784年28歳からの活動はめざましく、モーツァルトはウィーンで最も人気のある作曲家となっていた。
貴族の邸宅での音楽会や会員を募っての予約演奏会を頻繁に開催した。プログラムは自作のピアノ協奏曲が中心でモーツァルトが自らピアノを弾き、人々を楽しませた。2月から4月にかけて25回もの演奏会に出演し、いくつかの新作も披露している。また、この年からモーツァルトは自作の作品目録を作り始めた。
こうして今や押しも押されもせぬ人気の音楽家となったモーツァルトは作曲に演奏会にと充実した日々を送った。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」他』 2022/08/29放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(1)』 2022/12/5放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シューベルトの八重奏曲』 2023/1/11放送

1782年ごろからは元外交官スヴィーテン男爵の邸宅で開催されていた日曜音楽会にも招かれて鍵盤楽器による伴奏で演奏を行い、さらに1786年にスヴィーテン男爵が結成した音楽を愛好する貴族の協会の経済的支援によって管弦楽によるコンサートを開くことも可能になった。

ゴットフリート・ファン・スヴィーテン - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴットフリート・ファン・スヴィーテン。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ▽バッハマーラー編曲の「管弦楽組曲」』 2023/3/4放送

また、この音楽会でスヴィーテン男爵からバッハ一族やヘンデルの音楽を紹介され、大きな影響を受ける。そこで演奏されていたバロック音楽の多くはウィーン流に編曲されたものではあったが、モーツァルトはかねてから関心を抱いていたフーガを意識するようになった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シューマンの「リーダークライス 作品39」他』 2022/11/16放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 ▽バッハマーラー編曲の「管弦楽組曲」』 2023/3/4放送

これは俗にモーツァルトの「バロック体験」などと呼ばれている。

同じく1782年、26歳の時にはコンスタンツェと結婚し、公私ともに充実した生活を送った。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ シューマンの「リーダークライス 作品39」他』 2022/11/16放送

なお、1783年の夏にコンスタンツェを伴い、故郷のザルツブルグに里帰りしている。そのザルツブルク滞在からウィーンに戻る際にドナウ河畔の歴史ある町リンツを経由しているが、そのリンツで「リンツ」の愛称で知られる交響曲第36番やピアノ・ソナタ第13番が作曲されてる。

NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ・ソナタ第13番変ロ長調』 2023/4/2放送

しかし、1785年あたりからモーツァルトの音楽が以前にも増して表情豊かになり、深みを増してゆくにつれ、当時のウィーンの聴衆や音楽出版社との好みの違いも明らかになってきた。端的に言えば、芸術性と娯楽性の問題である。天衣無縫ともいうべきモーツァルトの新作は、音楽を楽しみたいウィーンの貴族や市民にとって技術的にも音楽的にも難しく映り始めた。当時の聴衆は聞くだけでなく、アマチュアの演奏家でもあったので、モーツァルトの新作、特にピアノを交えた室内楽は気軽に楽しく演奏できるものではなくなっていた。求められていたのは皆で楽しく演奏できる作品であった。
つまり、モーツァルトの音楽が深まるにつれ、彼の人気が落ちてゆくという皮肉な状況が生まれ、予約を募っての予約演奏、自主公演も開催されなくなった。

NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ四重奏曲 変ホ長調』 2022/10/9放送。NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのピアノ協奏曲 第26番「戴冠式」』 2024/3/17放送

1787年5月、31歳の時には弦楽五重奏曲の傑作「弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K516」を書いた。また、この年は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が完成し、また父レオポルトの体調不良と死が伝えられた年である。
そして、翌年1788年は、交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」が書かれた年であるが、ウィーンでのモーツァルトの人気は、音楽の深まりと反比例するかのように陰りを見せ始めていた。

NHK-FM(東京) 『モーツァルトの弦楽五重奏曲ト短調 - 音楽の泉 - NHK』 2023/7/23放送

なお、人気が出てきて嫉妬する音楽家も多い中、いつも好意的に接してくれたのがウィーンの音楽界の長老的存在グルックであった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽チャイコフスキーの「組曲第4番モーツァルティアーナ」他』 2022/08/04放送。

しかし、この時代、音楽家が王侯貴族に属さずに活動するにはまだ厳しく、モーツァルトは苦闘しながら10年を過ごした。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ▽モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」 他』 2022/9/6放送

親しい友人として交流していたハイドンが60歳を目前にして2回目のロンドンを訪問するとき、モーツァルトはこれを大変心配したが、ハイドンがロンドンに滞在していたちょうどその頃、1791年12月に35歳の若さで病に倒れ、世を去った。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 選 ベートーベンピアノ協奏曲第5番「皇帝」』 2023/2/16放送

他の音楽家との関係

ハイドン

ハイドンはモーツァルトよりも24歳年上の大先輩で親子ほどの年の差があったが、モーツァルトはハイドン交響曲弦楽四重奏曲に学び、ハイドンを敬愛していた。
ハイドンがもうすぐ50歳になろうという頃、そしてモーツァルトが20代半ばの1781年頃から2人は親しくなり、その後、モーツァルトはハイドンに6つの弦楽四重奏曲(いわゆる「ハイドン・セット(ハイドン重奏曲)」)を献呈している。
ハイドンはモーツァルトから献呈された弦楽四重奏曲を高く評価して、その才能を絶賛し、2人はお互いの才能を認め合う親しい友人になった。

ハイドンが60歳を目前にして2回目のロンドンを訪問するとき、モーツァルトはこれを大変心配したが、ハイドンがロンドンに滞在していたちょうどその頃、1791年12月に35歳の若さで病に倒れ、世を去った。ハイドンは大変驚き、悲嘆に暮れたという。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 選 ベートーベンピアノ協奏曲第5番「皇帝」』 2023/2/16放送。NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ ハイドン交響曲第102番』 2023/7/20放送

ミヒャエル・ハイドンハイドンの弟)

ミヒャエル・ハイドンがザルツブルクの宮廷音楽家として活動していた時にモーツァルトと出会った。モーツァルトはミヒャエルよりも20歳ほど年下だが、2人はザルツブルクの宮廷に仕える同僚として尊敬しあい、仲を深めていった。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」』 2024/3/18放送

モーツァルトの交友関係など

ヨーゼフ・ロイトゲープ

モーツァルトの親しい友人に24歳年上のヨーゼフ・ロイトゲープという優れたホルン奏者がいた。
ロイトゲープはザルツブルクの宮廷楽団のホルン奏者を勤めていた頃、まだ少年だったモーツァルトと出会う。モーツァルトの父レオポルトとも親しくなり、モーツァルト親子と共に旅行をしたこともあった。
ホルンの腕前は超一流で、モーツァルトも一目を置いた。しかし、謎の多い人物で、モーツァルトの父レオポルトにも大きな借金をしてなかなか返さなかったりなど多少トラブルメーカーでもあったようである。
しかし、モーツァルトとは気の合う仲で、残されている4つのホルン協奏曲もロイトゲープのために書かれていることから、ウィーンに住んでいたロイトゲープとモーツァルトに親しい交流があったことがわかる。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(4)』 2022/12/8放送

フリードリヒ・ラム

ラムは1744年生まれでモーツァルトよりも12歳年上。マンハイム宮廷楽団とパリで活躍後、ミュンヘンの宮廷楽団、そして、ウィーンで演奏活動を行ない、モーツァルトのほか、若き日のベートーヴェンとも共演した。

NHK-FM(東京) 『音楽の泉 モーツァルトのオーボエ協奏曲』 2023/2/18放送

アントン・シュタードラー

晩年の名曲を生み出すきっかけとなったクラリネットの名手アントン・シュタードラーもよく知られたモーツァルトの友人の1人である。
モーツァルトより3歳年上だが、私生活に問題が多く、借金だらけであった。しかし、クラリネットの腕前は抜群で、柔らかく人の声のような暖かな音色を奏で、バセットホルンという低音のクラリネットの名手でもあったという。

NHK-FM(東京) 『クラシックカフェ 特集 モーツァルトが聴きたくて(4)』 2022/12/8放送

モーツァルトの音楽史における位置づけ

古典派音楽

モーツァルトはバッハヘンデルバロック音楽を引き継いで、古典派音楽を「完成」させた(「確立」した)。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、239頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、188頁。

モーツァルトの作品

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