西アジア―サウジアラビア―フセイン(フサイン)―フセイン・マクマホン協定
フセイン・マクマホン協定とは
フセイン・マクマホン協定の定義・意味など
フセイン・マクマホン協定とは、1915年のイギリス高等弁務官マクマホンとメッカ太守のフセインの間の往復書簡をいう。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、302頁。
フセイン・マクマホン協定の内容
フセインは第一次世界大戦後のパレスチナを含む地域でのアラブ人国家建設(オスマン帝国からの独立)を条件に、イギリス・オスマン帝国間の戦争への協力を約束した。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、302頁。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、334頁。
フセイン・マクマホン協定の背景
アラブ側
第一次世界大戦で同盟国側に立って参戦したオスマン帝国の内部ではアラブ民族の独立運動が起こっていた。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、399頁。
イギリス側
第一次世界大戦では、同盟国側・連合国側とも結束を固め、中立国を味方に引き入れるために、戦後の敵領土・植民地の分配を決めた秘密条約を結んだ(→サイクス・ピコ協定など)。
また、他方、双方とも自治や独立を約束して植民地や民族独立運動の支援を得ようとした(→イギリスのフセイン・マクマホン協定・バルフォア宣言)。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、334頁。
フセイン・マクマホン協定の結果
中東問題(パレスチナ問題)の原因
フセイン・マクマホン協定にしたがって、アラブ人は対トルコ戦争を展開し、フセインの軍はダマスカスを制圧した。
『よくわかる世界史』 学研プラス、2013年、318頁。NHK教育 『木村多江の、いまさらですが・・・「オトナのための地理・歴史 西アジア」』 2022年03月24日放送
しかし、フセイン・マクマホン協定の内容は、サイクス・ピコ協定(1916年。英仏露による西アジアのオスマン帝国領の勢力範囲の画定)、バルフォア宣言(1917年。英のユダヤ人国家建設への好意的対応を約した宣言)と矛盾するものであった。
参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、302頁。
つまり、イギリスは、フランス・ロシアとの間でサイクス・ピコ協定を結んでいるにもかかわらず、アラブ人とユダヤ人の双方にパレスチナを含む地域での独立支援を約束して協力させ(いわゆるイギリスの「三枚舌外交」)、現在に至る両者の紛争(パレスチナ問題)の原因を作った。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、334頁。
なお、ロシア革命後、革命政府が秘密条約であったサイクス・ピコ協定を暴露し、内容がフセイン・マクマホン協定と矛盾することからアラブ側を憤激させている。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、280頁。
そして、大戦後のパリ講和会議(1919年)で、フセイン・マクマホン協定の約束は果たされなかった。
NHK教育 『木村多江の、いまさらですが・・・「オトナのための地理・歴史 西アジア」』 2022年03月24日放送
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