[歴史②]世界史

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戦時外交―サイクス・ピコ協定


サイクス・ピコ協定とは

サイクス・ピコ協定の定義・意味など

サイクス・ピコ協定とは、1916年にイギリス・フランス・ロシアの3国が第一次世界大戦後のオスマン帝国領土(西アジア)の分割を約した秘密条約をいう。

参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、280頁。

サイクス・ピコ協定の内容

同協定によると、イラク中南部・ヨルダンはイギリスの、レバノンを含むシリア・イラク北部・アナトリア(小アジア)南東部はフランスの、それぞれ統治地域および勢力圏とし、ロシアはグルジア(ジョージア)、アルメニアに接するトルコ領の一部を獲得する。また、エルサレムを含むパレスチナは国際管理下に置く、となっていた。

小学館 『日本大百科全書』

サイクス・ピコ協定の背景

秘密条約

第一次世界大戦では、同盟国側・連合国側とも結束を固め、中立国を味方に引き入れるために、戦後の敵領土・植民地の分配を決めた秘密条約を結んだ。
また、他方、双方とも自治や独立を約束して植民地や民族独立運動の支援を得ようとした(→イギリスのフセイン・マクマホン協定・バルフォア宣言)。
サイクス・ピコ協定は秘密条約の代表的なものである。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、334頁。『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、399頁。

石油

西アジアで最初に油田が発見されたのは、20世紀初めで場所は現在のイランであった。
第一次世界大戦では、飛行機や戦車などの近代兵器が使用され、燃料である石油の価値が一挙に高まった。それに目をつけたのがイギリスであった(→セーヴル条約)。

NHK教育 『木村多江の、いまさらですが・・・「オトナのための地理・歴史 西アジア」』 2022年03月24日放送

サイクス・ピコ協定の結果

中東問題(パレスチナ問題)の原因

サイクス・ピコ協定は、前年のフセイン・マクマホン協定および翌年のバルフォア宣言とまったく矛盾するものであり(いわゆるイギリスの「三枚舌外交」)、現在に至るアラブ人とユダヤ人の紛争(パレスチナ問題)の原因を作った。

小学館 『日本大百科全書』。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、334頁。

なお、ロシア革命後、革命政府が秘密条約であったサイクス・ピコ協定を暴露し、内容がフセイン・マクマホン協定と矛盾することからアラブ側を憤激させている。

『世界史用語集』 山川出版社、2014年、280頁。

また、サイクス・ピコ協定は、大戦後、セーヴル条約、さらにそれを修正したローザンヌ条約が締結されたため、この協定通りにはならなかった。



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