西アジア―サウジアラビア―フセイン(フサイン)
(" 中東―西アジア―サウジアラビア―フセイン(フサイン) "から複製)
フセイン(フサイン)
フセインの生涯・経歴
アラブ独立運動の指導者
1853頃 - 1931年。フセインはメッカの支配者(太守)で、アラブ独立運動の指導者である。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、302頁。『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、421頁。
フセインは、シリア・パレスチナからイラク・ヨルダンを経てアラビアまでが、1つのアラブ国家として独立できることを期待していた。
『よくわかる世界史』 学研プラス、2013年、338頁。
フセイン・マクマホン協定
フセインは1915年にイギリスとフセイン・マクマホン協定を結んだ。イギリスはオスマン帝国との戦争への協力と引き換えに、戦後はアラブ人国家の樹立(オスマン帝国からの独立)を約束した。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、302頁。『よくわかる世界史』 学研プラス、2013年、338頁。
ヒジャーズ王国
フセインは1916年にアラビア半島でヒジャーズ王国を建てたが、1924年にワッハーブ派のイブン・サウードに破れ、合併されてヒジャーズ・ネジド王国となった。
そして、アラビア半島の大部分が統一され、1932年にサウジアラビア王国が建設されるとともにその一部となった。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、302頁。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、355頁。『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、421頁。
なお、ヒジャーズはもとオスマン帝国の1州であった。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、421頁。
現在のページのサイトにおける位置づけ
現在のページが属するカテゴリ内のページ一覧[全 5 ページ]
- 西アジア―サウジアラビア―フセイン(フサイン)
- 西アジア―サウジアラビア―フセイン(フサイン)―フセイン・マクマホン協定
- 西アジア―トルコ―トルコ革命―セーヴル条約
- 西アジア―トルコ―トルコ革命―ローザンヌ条約
- 西アジア―パレスチナ―パレスチナ問題
現在のページが属するカテゴリのサイトにおける位置づけ