民族大移動―第2次民族大移動(ノルマン人の活動)
第2次民族大移動とは
第2次民族大移動の定義・意味など
第2次民族大移動(だいにじみんぞくだいいどう)とは、スカンディナビア半島やユトランド半島に住んでいた北ゲルマン系のノルマン人がいわゆるヴァイキングとして8~11世紀に西欧・東欧に移住(移動・定住)したことをいう。
第2次民族大移動の経緯・歴史
8世紀後半から始まるノルマン人の移動(第2次民族大移動)は、11世紀までに各地でノルマン人が定着・同化し、出身地の北欧諸国がキリスト教化して終わった。
西ヨーロッパ
ノルマンディー公国
ロロが率いる一派が北フランス(セーヌ川下流域)に上陸し、911年に征服地の領有を西ゲルマン系の西フランク王に認めさせ、ノルマンディー公国を建てた。
参考:『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、99頁。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、128頁。
ノルマン朝
イングランドに成立していた西ゲルマン系のアングロ・サクソン王国もノルマン人の侵入に悩まされていた。
9世紀末にアルフレッド大王が一時これを撃退したが、1016年デーン人(デンマーク地方のノルマン人)の王クヌート(カヌート)に征服され、クヌートがイングランド王となった。
その後、アングロ・サクソン系の王家が復活したが、1066年ノルマンディー公ウィリアムが王位を主張して攻め込み(ノルマン・コンクェスト)、ウィリアム1世として即位しノルマン朝を建てた。
参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、128頁。
両シチリア王国
北フランスに上陸した一派からさらに分かれた一派は、12世紀前半、南イタリアとシチリア島に侵入し、両シチリア王国を建てた。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、128頁
東ヨーロッパ
ノブゴロド国・キエフ公国
東ヨーロッパでもスウェーデン出身のリューリクを首領とするノルマン人の一派(ルーシ)がドニエプル川流域のスラブ人地域に進出して、9世紀にノヴゴロド国を、ついでキエフ公国を建て、これがロシア・ウクライナ・ベラルーシの起源となった。
参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、129頁。キエフ公国/キエフ=ルーシ http://www.y-history.net/appendix/wh0601-125.html
なお、ノルマン人による建国をロシア国家の起源とする説がある一方、この説にはロシア国内のスラブ系の人々に強い反発もある。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、91頁。
第2次民族大移動の意義・評価・解釈
北欧が西ヨーロッパ世界に
北欧諸国がキリスト教化され、西ヨーロッパ世界に組み入れられることになった。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、129頁。
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