ロシア―歴史―近世のロシア国家―ロシア帝国(帝政ロシア)
ロシア帝国とは
ロシア帝国の定義・意味など
ロシア帝国とは、スウェーデンとの北方戦争に勝利したロマノフ朝のピョートル1世が1721年元老院に「皇帝」の称号を贈らせてから、1917年のロシア革命(二月革命)でニコライ2世が退位してロマノフ朝が消滅するまでのロシアの名称をいう。
参考:小学館 『日本大百科全書』。ピョートル1世 (ロシア皇帝) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ピョートル1世 (ロシア皇帝)
ロシア帝国の別名・別称・通称など
帝政ロシア
ロシア帝国 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ロシア帝国
ロシア帝国の政治
ロシア帝国の内政
東欧型絶対主義
ロシアの近代はピョートル1世の時代に始まるが、彼がその生涯をかけて努力したのは、西ヨーロッパ諸国に比べて遅れていたロシアを上から近代化することであった。
18世紀後半のエカチェリーナ2世も、基本的にはこのようなピョートル1世の政策を受け継ぎ、専制政治と農奴制を2本の支柱として、いわば東欧型絶対主義の確立を目ざした。
小学館 『日本大百科全書』
ロシア帝国の外政
南下政策
19世紀に入ってロシアは南下政策を進めた。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、369頁。
クリミア戦争
中央アジア征服
イギリス・フランスなどのオスマン帝国支援でクリミア戦争に敗れたロシア帝国は鉾先を中央アジアに向け、ブハラ(1868)・ヒヴァ(1873)の2ハン国を保護国とし、1876年にはコーカンド・ハン国を併合して、中央アジア全土(西トルキスタン。主にアムダリア川・シルダリア川流域)をトルキスタン省とし、カスピ海以東の地に勢力を拡張した。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、369・110頁。
なお、ロシアがトルキスタンの西部を征服して、トルキスタンは初めて明確な境界線を持つに至った。
このロシア領=西トルキスタンに対して、パミール高原を境にして東のタリム盆地などの清朝(中国)領内でトルコ人が住む地域=新疆は東トルキスタンと呼ばれるようになった。
『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、669頁。『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、110頁。『理解しやすい世界史B』 文英堂、1994年、123頁。
ロシア帝国の領土・国土
参考:ロシア帝国 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ロシア帝国
【バルト三国】ここは東欧?それとも北欧?ヨーロッパの分類とその奇異なるもの。 | 旅は小粒でピリリとからい。 https://traveltips-travellife.com/baltic-countries/
ロシア帝国の意義・評価・解釈
ヨーロッパの強国
ロシアは東方の辺境国家から脱皮し、東欧で大国としての地位を固め、ヨーロッパの強国の一翼を担うようになった。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、231頁。ピョートル1世 (ロシア皇帝) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ピョートル1世 (ロシア皇帝)。
1917年の時点で、ロシア帝国はヨーロッパではオーストリア・ハンガリー帝国に次ぐ2番目に大きなスラヴ人国家であった。
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