[歴史②]世界史

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ロシア―歴史―近世のロシア国家―ロシア帝国(帝政ロシア)―ピョートル1世(ピョートル大帝)


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ピョートル1世

ピョートル1世の業績・事績

ピョートル1世(1672 - 1725年)はロマノフ朝の創始者ミハイル・ロマノフの孫である。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、268頁。

西欧化・近代化

即位後にみずから西欧諸国を視察し、オランダでは造船技術・解剖学を学び、イギリスでは商工業を調査し、プロイセンでは兵制を習得した。
彼は西欧の技術・学問などを導入してロシアの近代化と強国化に努めた。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、230頁。『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、268頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、176頁。

大国化
東方進出

この頃軍備の拡大を背景にシベリアの開発も大いに進み、17世紀中頃にはオホーツク海からカムチャッカ半島に達していたが、ピョートル1世は1689年中国の清朝とネルチンスク条約を結んで両国の境界を定め通商を開いた。
こうしてロシアの東方経営は積極的に展開されるようになった。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、269頁。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、230頁。

南下政策

ピョートル1世は、良港の確保を目指して領土の拡大を図り、まず南方では、大トルコ戦争に乗じて1696年にオスマン帝国から黒海北部のアゾフ海の制海権を奪った(アゾフを占領した)。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、269頁。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、230頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、176頁。露土戦争 (1686年-1700年) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/露土戦争 (1686年-1700年)。アゾフ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/アゾフ

そして、1700年、オスマン帝国とコンスタンティノープル条約を締結して、オスマン帝国にアゾフの領有を認めさせた。
これはその後の南下政策の嚆矢となった。

露土戦争 (1686年-1700年) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/露土戦争 (1686年-1700年)

なお、1711年にオスマン帝国に敗れたことでこの成果を喪失し、いったん南下政策の断念を余儀なくされたが、その後、ロシアとオスマン帝国の攻防の結果、1739年にロシア領であることが認められた。

『世界史用語集』 山川出版社、2014年、176頁。アゾフ海 http://www.y-history.net/appendix/wh1301-011.html

西方進出(バルト海進出)

北方戦争

さらに西方に向かっては当時バルト海を支配していたスウェーデンに対してポーランド・デンマークと同盟して北方戦争(1700~1721)を起こした。
この戦争でロシアはスウェーデンを破り、1721年ニスタット条約が結ばれた。
この条約により、バルト海沿岸のエストニアとラトビアはロシアの支配下に置かれ、以降、バルト海の覇権はロシアに移った。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、269頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、176頁。

こうしてロシアは東欧で大国としての地位を固め、ヨーロッパの強国の一翼を担うようになった。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、231頁。

なお、ロシアの「西方の窓」と呼ばれるペテルブルク(現在のサンクトペテルブルク)がバルト海沿岸に新たに建設され首都となったのは、この戦争の時である(1712)。
ピョートル1世が1703年、スウェーデンから交通の要衝であるこの地を奪って都市を建設し、モスクワから遷都した。ペテルブルクは西ヨーロッパ文明摂取の拠点となった。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、269頁。『詳説 世界史』 山川出版、2019年、231頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、176頁。

ロシア帝国

スウェーデンとの北方戦争に勝利したピョートル1世は1721年元老院に「皇帝」の称号を贈らせてピョートル大帝と称された。
こうして彼はロシア帝国の建設者になった。

平凡社 『世界大百科事典』

ピョートル1世の意義・評価

東欧型絶対主義

ロシアの近代はピョートル1世の時代に始まるが、彼がその生涯をかけて努力したのは、西ヨーロッパ諸国に比べて遅れていたロシアを上から近代化することであった。
18世紀後半のエカチェリーナ2世も、基本的にはこのようなピョートル1世の政策を受け継ぎ、専制政治と農奴制を2本の支柱として、いわば東欧型絶対主義の確立を目ざした。

小学館 『日本大百科全書』



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