[歴史②]世界史

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オリエント世界―メソポタミア文明


(" メソポタミア文明 "から複製)

メソポタミア文明とは

メソポタミア文明の定義・意味など

メソポタミア文明とは、前3000年頃、トルコの山岳地帯を水源としてシリア、イラクを流れ、ペルシア湾に注ぎ込むティグリス川とユーフラテス川の流域(ほぼ今日のイラクにあたる)の沖積平野で生まれた古代文明をいう。

メソポタミアとは「川の間の地方」の意味で、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域をいう。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、12頁。

メソポタミア文明の位置づけ・体系(上位概念等)

四大文明

メソポタミア文明は世界の四大文明の一つとされている。

なお、四大文明は次のとおり。

ただし、「四大文明」は学術的・定説的な用語というわけではなく、提唱者すら不明な、通俗的・慣習的な用語である。国際的な用語ですらなく、20世紀以降の日本や中国でのみ用いられる。国際的には、「四大文明」ではなく「文明のゆりかご」(Cradle of civilization)という。「文明のゆりかご」は、肥沃な三日月地帯を念頭に起きつつ、長江文明・メソアメリカ文明・アンデス文明なども含み、明確な数も決まっていない。

世界四大文明 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/世界四大文明

メソポタミア文明の特色・特徴

メソポタミア地方は開放的な地形で、周囲から遊牧民などが相次いで侵入してきたため、統一と分裂が繰り返され、その歴史は流動的であった。

『理解しやすい世界史B』 文英堂、1994年、19頁。

メソポタミア文明の歴史

シュメール人

シュメール人は、メソポタミア南部地域に世界最古の古代文明を築いた。

セム語系のアムル人

シュメール人の最後の王朝(ウル第3王朝)はセム語系(現代のアラブ人の直系にあたる)のアムル人などの侵略を受けて、前2000年頃に滅亡した。
そして、アムル人はメソポタミアの中・南部に定着し、シュメール・アッカド文明を吸収した。以後、メソポタミア文明は、彼らアムル人によって受け継がれることになった。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、18頁。アラン・F. アルフォード 『神々の遺伝子―封印された人類誕生の謎』 講談社、1998年。



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