民族―ヨーロッパ―スラブ人―歴史
スラブ人の歴史
スラブ人の拡大
カルパティア山脈北方を原住地とし、スラブ諸語を話す東欧のインド・ヨーロッパ語系民族であるスラブ人は、6世紀に遊牧民アヴァール人に圧迫され、東西南の3方向に分かれて移動し※1、以降、東欧・南欧各地に拡大した※2。
※1 『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、96頁。
※2 『世界史用語集』 山川出版社、2014年、90頁。
なお、スラブ人は、言語・地域から東スラブ人・西スラブ人・南スラブ人に分けられる。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、90頁。
大別して東スラヴ人・南スラブ人はビザンツ文化とギリシア正教、西スラブ人は西欧文化とローマ・カトリックの影響を受けつつ、自立と建国の道を歩んでいった。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、135頁。
8~10世紀までの間、西ヨーロッパは絶えず外部勢力の侵入に見舞われていたが、(西欧から見ると)スラブ人は東方からフランク王国を脅かした。
参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、127~128頁。
東スラブ人
ロシア人・ウクライナ人など
東スラブ人はドニエプル川流域から北方の平原にかけて広がり、ロシア人・ウクライナ人などに分かれた。
『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、96頁。
西スラブ人
西スラブ人はバルト海沿岸からエルベ川流域に定着し、ポーランド人・チェコ人・スロバキア人などに分かれた。
『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、96頁。
南スラブ人
南スラブ人はバルカン半島に南下し、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人などに分かれた。
『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、96頁。
非スラブ系諸民族
ブルガール人
東ローマ帝国のコンスタンティヌス帝(位527~565)の死後、バルカン半島にはトルコ系遊牧民のブルガール人が侵入し、7世紀末にブルガリア王国を建てたが、周囲のスラブ人との混血が進んでスラブ化した。
参考:『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、95~96頁。
ギリシア正教圏の形成
ビザンツ皇帝※は、スラブ人の諸国家を影響下に置くため、ギリシア正教会の宣教師を派遣し、布教にあたらせた。
※ギリシア語が公用語とされた7世紀以後の東ローマ帝国は、首都の旧名ビザンティウムにちなんでビザンツ帝国と呼ばれる。
『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、95頁。
その結果、9世紀後半にはセルビア人やブルガール人などがギリシア正教に改宗し、東ヨーロッパのスラブ人を中心にギリシア正教圏が形成されていった。
『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、97頁。
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