バルト三国―歴史
バルト三国の歴史
バルト三国は中世以来、外部勢力の角逐場であった。
小学館 『日本国語大辞典』
歴史的にはエストニアとラトヴィアは北ヨーロッパ諸国やドイツと、リトアニアはポーランドとのつながりが深く、また3国はロシアとも深く関わってきた。
バルト三国 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/バルト三国
ドイツ領
東方植民・ドイツ騎士団領
12世紀から14世紀にかけてドイツ人がエルベ川以東のスラブ人やバルト人の居住地域に大規模な植民を行った(東方植民)。
参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、149頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、98頁。岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、22項。
13世紀以降は第3回十字軍の際に結成されたドイツ騎士団が植民活動の中心となった。
ドイツ騎士団は今のポーランドの北部に進出し、13世紀半ばからバルト海沿岸部のバルト系のプロイセン人(プロシア人)の改宗・教化に努め、ドイツ騎士団領を建てた。
土着のバルト系のプロイセン人はドイツ人社会に吸収、同化され、17世紀には消滅することになる。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、98・107頁。岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、22項。『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、636・752頁。
また、リヴォニア(今のエストニアとラトヴィア)にもキリスト教徒のドイツ人が入植し、フィン系のエストニアとバルト系のラトヴィアはドイツ騎士団に支配された。
岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、22項。小学館 『日本大百科全書』
ポーランド支配下
リトアニア大公国
これに対して、バルト系のリトアニア人はドイツ騎士団に対抗するために13世紀に国家を形成し、リトアニア大公国と称して、独立を維持した。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、96頁。小学館 『日本大百科全書』
リトアニア・ポーランド王国
さらに、14世紀にはポーランドと合体してリトアニア・ポーランド王国をつくり、15世紀に最も強大になった。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、136頁。
これによりリトアニア人はカトリックに改宗し、ポーランドの指導下に入った。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、96頁。
なお、リトアニアは旧ソ連では唯一のカトリック文化圏の国である。
『理解しやすい地理B』 (改訂版) 文英堂、2008年、230頁。
16世紀中頃には同王国がエストニア南部とラトヴィアをも領有した。
小学館 『日本大百科全書』
スウェーデン領
スウェーデン・ポーランド戦争
アルトマルクの和議
スウェーデン・ポーランド戦争とは、広義では1563年から1721年までにスウェーデン王国とリトアニア・ポーランド王国の間に幾度となく起こった一連の戦争をいうが、このうち1621年–1629年におけるスウェーデン・ポーランド戦争の休戦協定として、1629年にアルトマルクの和議が結ばれた。
スウェーデン・ポーランド戦争 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/スウェーデン・ポーランド戦争。アルトマルク休戦協定 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/アルトマルク休戦協定。『標準世界史年表』 吉川弘文館、2018年、50-51項。
この結果、エストニアとラトヴィアの大半は1629年にスウェーデンの支配下に置かれることになった。
小学館 『日本大百科全書』
ロシア領
北方戦争
ニスタット条約
ロシアはポーランド・デンマークと同盟を結んでスウェーデンに対して戦争を引き起こし、スウェーデンを破った(北方戦争。1700-1721年)。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、231頁。
この結果、1721年のニスタット条約によりバルト海沿岸のエストニアとラトヴィアはロシアの支配下に置かれ、以降、バルト海の覇権はロシアに移る。
小学館 『日本大百科全書』。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、176頁。
さらに同世紀末のポーランド分割によりバルト三国全体がロシア領となった。
小学館 『日本大百科全書』
独立
民族自決
第一次世界大戦後、「民族自決」が旧ロシア帝国の支配下の諸民族に適用され、1918年にエストニア・ラトヴィア・リトアニアの独立が認められた。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、338-339頁。
ソ連領
第二次世界大戦
バルト三国併合
ソ連は1940年、バルト三国を併合してソ連に編入した。これによりバルト三国はソ連の構成国となった。
『詳説 世界史』 山川出版、2019年、364頁。三省堂 『スーパー大辞林』。
バルト三国独立回復
1991年にソ連から独立を回復した。
三省堂 『スーパー大辞林』。
NATO・EUへの加盟
独立後のバルト三国は、民主化・市場経済化を進めている。
政治・経済のロシア依存からの脱却を目指してNATOとEUへの加盟を求め、2004年には両者への加盟が実現した。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、505頁。
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