[歴史②]世界史

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東部戦線(イデオロギーの戦争)―独ソ戦


独ソ戦

独ソ戦の定義・意味など

独ソ戦とは、1941年6月、ドイツが2年前に締結した独ソ不可侵条約を破って、イタリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・フィンランド等他の枢軸国とともにソ連を奇襲して始まった戦争をいう。

参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、365頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、313頁。

独ソ戦の位置づけ・体系(上位概念等)

西部戦線とは別の戦争

ヒトラーは、ソ連との戦争を「イデオロギーの戦争」「絶滅戦争」と位置づけ、西部戦線(→フランス降伏イギリス本土上陸作戦)とは別の戦争であると認識していた。

独ソ戦 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/独ソ戦

原因・背景

バルカンにおける独ソの利害の衝突

イギリスへの攻撃が行き詰まった(→イギリス本土上陸作戦)とき、ヒトラーは、次にソ連への攻撃を考えるようになった。

ヒトラーの本来の目標は東方にドイツ民族の生存圏を広げることであり、したがって、ソ連との戦争を早晩不可避と見ていた。

ヒトラーはバトル・オブ・ブリテン(→イギリス本土上陸作戦)の失敗によって戦争の前途に行き詰まりを感じており、「ソ連が粉砕されれば、英国の最後の望みも打破される」とし、さらに東方生存圏の獲得のためソ連侵攻を考えるようになった。

独ソ戦 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/独ソ戦

しかし、ヒトラーの対ソ攻撃の直接の動機となったのは、バルカンにおける独ソの利害の衝突であった。

ドイツが西部戦線に専念している(→フランス降伏イギリス本土上陸作戦)間に、ソ連は1940年6月にルーマニアからベッサラビア(現モルドバ)とブコヴィナの2地方を奪取した。

ルーマニアの石油資源はドイツにとって死活的重要性を持っていたので、ヒトラーはソ連の進出に脅威を感じた。

こうしてヒトラーは1940年末までに対ソ開戦を決意するに至った。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、441頁。

経緯

バルカン戦線(バルカン半島の戦い)

ドイツは戦力をバルカン半島に展開し、1941年4月に、ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアを枢軸国側に引き入れるとともに、ユーゴスラビア(現スロベニア・クロアチア・ボスニア‐ヘルツェゴビナ・セルビア・モンテネグロ・北マケドニア)とギリシアを占領した。

『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、282頁。

こうしてヒトラーは対ソ開戦の側面を固めた後、6月にソ連への攻撃を開始した。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、441頁。

緒戦

ヒトラーは電撃戦によって短期間でソ連を片付け得ると信じ、事実、緒戦におけるドイツ軍の進撃ぶりはめざましかった。

『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、441頁。

スターリンの粛清によって多くの将校が処刑されていたソ連軍は組織的な戦闘が行えず、総崩れとなり、敗退を繰り返した。

NHK総合 映像の世紀バタフライエフェクト「スターリンとプーチン」 2022年05月23日放送

共産主義ロシアの圧制からの解放軍

開戦当初はソ連軍が大敗を喫したこともあり、歴史的に反ソ感情が強かったバルト地方や、スターリンの弾圧に苦しんだウクライナの住民は、ドイツ軍を当初「共産主義ロシアの圧制からの解放軍」と歓迎し、ドイツ軍に志願したり共産主義者を引き渡すなど自ら進んでドイツ軍の支配に協力する住民も現れた。

参考:独ソ戦 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/独ソ戦

スターリンへの反旗はウクライナ全土へと広がっていった。

NHK総合 映像の世紀バタフライエフェクト「スターリンとプーチン」 2022年05月23日放送

レニングラード包囲戦

追い詰められたスターリンは国民に向け、命をかけた徹底交戦を命じた。

1941年9月から始まるレニングラード包囲戦では独ソ戦最大の悲劇が起きた。スターリンは撤退は祖国の破滅につながるとしてドイツ軍が迫っても市民に避難を許さなかった。ドイツ軍による包囲は約900日間続き、100万人以上が死亡した。そのほとんどは餓死者と言われている。

NHK総合 映像の世紀バタフライエフェクト「スターリンとプーチン」 2022年05月23日放送

モスクワの戦い

ドイツ軍は1941年11月にモスクワに迫ったが、ソ連軍は大きな損害を出しながらも押し返し、モスクワ攻撃は失敗した。

12月に入るとソ連の反攻が始まって戦争は長期化し、1945年まで続いた。

参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、365頁。『世界史用語集』 山川出版社、2014年、313頁。

スターリン率いるソ連は世界大戦の参戦国で最多の2,700万人という犠牲を払い、独ソ戦の勝利を得た。

NHK総合 映像の世紀バタフライエフェクト「スターリンとプーチン」 2022年05月23日放送

独ソ戦の意義・評価・解釈

ファシズム勢力対反ファシズム勢力の戦い

独ソ戦が始まると、イギリスとアメリカはソ連支持を表明し、ルーズベルト大統領は1941年11月7日に武器貸与法(レンドリース法)をソ連にも適用することを決定した。

こうして第二次世界大戦はファシズム勢力対反ファシズム勢力の戦いという性格を帯びることになった。

参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、313頁。



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