西部戦線―フランス―フランス降伏(パリ占領)
フランス降伏(パリ占領)
原因・背景
西部戦線
ポーランドに対する作戦を完了したヒトラーは、西欧諸国に和平提案を行ったが、イギリスとフランスがこれを拒否したため、1940年春を待って西部戦線で攻撃を開始することを決定した。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、440頁。
経緯
ドイツはフランスに対してすさまじい進撃を行い、北フランスを横断して大西洋岸のブーローニュ・カレーなどの都市を占領した。
その後、攻撃はフランスの南方に向けられ、1940年6月14日にはパリが戦闘なしに占領された。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、440頁。
内閣が総辞職し、首相となったペタンがドイツに降伏を申し入れ、6月22日に休戦協定が調印された。
『世界史用語集』 山川出版社、2014年、312頁。
結果
第三共和政の崩壊
休戦協定により、北部および中部フランスの全域がドイツの占領地域とされ、フランスのペタン政権はヴィシーに首都を置いて南部を統治することとなった(ヴィシー政府)。
ここにフランスの第三共和政は終わった。
『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、440頁。
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