[歴史②]世界史

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中東―西アジア―トルコ―トルコ革命―セーヴル条約


(" ヴェルサイユ体制―オスマン帝国―セーヴル条約 "から複製)

セーヴル条約とは

セーヴル条約の定義・意味など

セーヴル条約とは、第一次世界大戦後の1920年8月にフランスのセーヴルで連合国と同盟国側に参戦したオスマン帝国の間に結ばれた講和条約をいう。

『世界史用語集』 山川出版社、2014年、286頁。

セーヴル条約の内容

セーヴル条約の内容は、領土の大幅な割譲、軍備の縮小、治外法権存続などオスマン帝国にとって過酷で屈辱的なものであった。

参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、300頁。小学館 『日本大百科全書』

領土の大幅割譲

セーヴル条約によりオスマン帝国の領土は分割され、多くの地域がイギリス・フランス・イタリアの支配下に入った。

『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、262頁。

たとえば、シリア・レバノンはフランスの、イラク・トランスヨルダン(現ヨルダン)・パレスチナはイギリスの委任統治のもとにおかれた。

参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、339頁。

こうしてオスマン帝国は、西アジアとほとんどすべてのヨーロッパ領土(コンスタンティノープル付近を除く)を失い、小アジアの一小国に転落した。

参考:『チャート式シリーズ 新世界史』 数研出版、2014年、419頁。

軍備の縮小

治外法権存続

セーヴル条約の結果

トルコ革命

過酷で屈辱的な内容のセーヴル条約はトルコ革命を引き起こす要因となり、1923年のローザンヌ条約で改められた。

参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、300頁。

セーヴル条約の意義・評価・解釈

西アジアの戦争や紛争の原因

1916年にイギリス・フランス・ロシアの3国が大戦後のオスマン帝国領土(西アジア)の分割を約したサイクス・ピコ協定セーヴル条約により境界が引き直されているが、そこに油田がある場所を重ねるとイギリスが油田を自らの勢力下に収めようとしたことがわかる。
セーヴル条約は後にローザンヌ条約により修正されているが、ヨーロッパ帝国主義諸国の石油等をめぐる思惑によって西アジア民族分布の実態と合わない国境線が定められたことが、その後の西アジアのさまざまな紛争を引き起こす原因の1つと考えられている。

参考:NHK教育 『木村多江の、いまさらですが・・・「オトナのための地理・歴史 西アジア」』 2022年03月24日放送



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