[歴史②]世界史

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民族大移動―第2次民族大移動(ノルマン人の活動)―キエフ公国


キエフ公国とは

キエフ公国の定義・意味など

キエフ公国(キエフこうこく)とは、リューリクの後継者オレーグを首領とするスウェーデン系ノルマン人の一派ルーシがノブゴロド(現ロシア)からドニエプル川流域(現ウクライナ)の東スラブ人ロシア人ウクライナ人など)地域を南下し、9世紀にキエフを首都として建設した封建諸公国の連合体としての国家をいう。

参考:『世界史用語集』 山川出版社、2014年、91頁。岩波書店 『広辞苑 第六版』など。

キエフ公国の意義・評価・解釈

ロシアウクライナ・ベラルーシの起源

スウェーデン出身のリューリクを首領とするノルマン人の一派(ルーシ)がドニエプル川流域のスラブ人地域に進出して、9世紀にノヴゴロド国を、ついでキエフ公国を建て、これがロシアウクライナ・ベラルーシの起源となった。

参考:『詳説 世界史』 山川出版、2019年、129頁。キエフ公国/キエフ=ルーシ http://www.y-history.net/appendix/wh0601-125.html

なお、ノルマン人による建国をロシア国家の起源とする説がある一方、この説にはロシア国内のスラブ系の人々に強い反発もある。

『世界史用語集』 山川出版社、2014年、91頁。

ロシアが西欧とは別の文化圏に・東欧の盟主に

キエフ公国に最盛期をもたらしたウラディミル1世は、ギリシア正教に改宗してこれを国教とし(後述)、ビザンツ風専制君主制をまねたので、以後ロシアは西欧とは別の文化圏(=ビザンツ帝国・東欧)に入ることになった※1とともに、ビザンツ帝国の権威のもとに東スラブ人諸公国の盟主となった※2

※1 『詳説 世界史』 山川出版、2019年、135頁。

※2 『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、112頁。

キエフ公国の歴史

スラブ

キエフ公国は早くから先住民である東スラブ人に同化してスラブ化した。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、135頁。

ウラディミル1世

10世紀末ウラディミル1世は領土を広げ、キエフ公国に最盛期をもたらした。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、135頁など。

北方のノブゴロドからドニエプル川を南に下って来て、森林地帯を抜けて草原に出たところがキエフの町である。ルーシはキエフを根城にして、バルト海と黒海を結ぶ水路を押さえて、ビザンツ帝国のギリシア人と貿易を営んでいた。
こうしてルーシのキエフ公国はビザンツ帝国との交易で繁栄した。

岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、21項。『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、112頁。

主としてビザンツ帝国とのそうした貿易と外交の必要から、ウラディミル1世は988-999年にビザンツ皇女を降嫁するとの条件でギリシア正教に改宗して国教とした(→ロシア正教会)。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、135頁。岡田 英弘 『世界史の誕生』 ちくま文庫、1999年、20-21項。『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、124頁。

先述したように、ウラディミル1世のこの改宗は、ロシアが東方正教文明圏に帰属したという意味で、その後のロシアの運命を大きく決定づけたとともに、これによりキエフ公国がビザンツ帝国の権威のもとに東スラブ人諸公国の盟主となった。

『角川世界史辞典』 KADOKAWA、2001年、124頁。『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、112頁。

諸公の分立

しかしその後、ウクライナからロシアにかけての地域で、貴族が農民を農奴化して大土地所有制を広めると、各地の諸公が分立するようになった。

『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、112頁。

モンゴル人の侵入・支配

さらに、13世紀にバトゥ率いるモンゴル人がキエフ公国に侵入し、キプチャック・ハン国を建てると、キエフ公以下の諸公はこれに屈服し、約240年の長きにわたってモンゴル支配に服した。

『詳説 世界史』 山川出版、2019年、135頁。『新詳 世界史B』 帝国書院、2021年、112頁。



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